現在の資産は過去の労働
過去の労働は常に資本という形で自分を偽装します。
過去の大勢の労働者A、B、C…の労働の産物は、労働しない資本家Xの資産の形をとります。
過去の無給労働は労働者から分離され資本に形を変えて絶えず増大する労働プロセスを助けます。
資本主義社会では過去の労働が実体化した資産は他人の資本になります。
過去の労働の結果である資本は、さらに未来の労働を雇い、どんどん自分を大きくしていくので、過去の労働は未来の労働の増殖に貢献します。

蓄積による労働生産性の増大
資本の蓄積が進行する過程では社会的労働生産性の増加が蓄積を加速させます。
生産手段の大規模な集中も生産性を高める方法のひとつです。
ビルや運送手段や溶鉱炉などを利用して生産手段が集まることで生産性が増します。
労働生産性が増大することで生産手段に必要な労働の量が減少します。
例えば元は資本の50%は生産手段に、50%は労働力に使われていたとすれば、生産性の発達により80%は生産手段に回し、労働力には20%を使えば事足りるようになります。
大きなコンビニエンスストアチェーンを見ていると集中がいかに効率を高めているかが分かります。
もし1000店の店舗がそれぞれの売り上げや在庫を管理すれば費用は店舗の数に比例してかかります。
しかし、その1000店の管理を本店のコンピュータで処理すると売り上げや在庫、売れ筋商品の種類といった情報を簡単に処理することができます。
資本の大規模の集中
18世紀初めの糸の生産では、不変資本(原材料と機械)と可変資本(労働力)の比率が1:1だったとします。 現代では生産性が向上し不変資本と可変資本の比率が7:1になったとします。
こうなると、労働が消費する原材料と道具の量は18世紀の数百倍になります。
その理由は生産性が高くなった労働が処理する原材料の量や機械の使用が増加するだけでなく、原材料と機械の価値も下がるからです。
巨大な規模で集中された生産手段は生産性を増大させます。
社会的生産性を増大させる方法は、同時に剰余価値を増大させる方法でもあります。
だからそれは資本で資本を生産する方法でもあり、その蓄積を加速化させます。
「資本の蓄積」は資本家が得た剰余価値を資本に付け加えて資本を次々に増大させること、「資本の集中」は、いくつかの資本を合体させて資本の規模を増やすことを意味します。
どちらも目的は資本を中央に集中させて生産性を高め、できるだけ多くの剰余価値を得るためです。

資本家の競争と資本の集中
資本の集積の過程には資本家間の競争があります。
大きな資本は小さな資本に勝ちます。競争は常に小さな資本家の没落に終わり、その一部はなくなって、残りは勝者のものになります。
大勢の資本家の資本が、ひとりのもとへ集まると、それは強力な資本になります。
この集中は資本家の活動の規模を増大させることで自分の使命を完了します。
最初に蓄積された資本の謎
お金がどうして資本になるのか。
それは剰余価値が作られると、それが資本に加わって資本がどんどん増大する循環です。
では、その循環の出発点の最初の蓄積は一体どうやって作り出されたのでしょうか?
神学の「原罪説」は、なぜ人が働かなければならない呪いにかかったのか説明してくれるが、経済の原罪説は、どうして働かなくても良い人が存在するのか教えてくれます。
資本主義のもとでは、ある人は富を蓄積するが、ある人は自分の体しか売り物がありません。
最初の蓄積(本源的蓄積)は歴史における生産者と生産手段の分離過程にあります。
つまり、農村の生産者(農民)から資本家が土地を奪ったことがすべての始まりです。
奴隷のように働かせる封建時代の搾取から資本主義的搾取へと移り変わったのです。
マルクス「資本論」は「憂うつな学問」とも呼ばれます。 剰余価値論は資本が大勢の労働者の無給労働を搾取することで、どんどん増大するメカニズムを説明します。
そして、そんな資本の始まりも元は資本家の先祖が弱者から略奪したものだったと喝破しています。
資本が増大するメカニズム、そしてその起源を見ても「資本は不当な搾取と略奪で得たもの」だとマルクスは主張しています。
イギリスの最初の蓄積
イギリスでは、かつては自分の畑を耕作し、ある程度裕福な生活をしていた農民(土地所有者)がたくさんいました。総人口の7分の1にあたる16万人の農民が土地を持っていました。
しかし、1470年から1500年大までの数十年間で強大な領主が武力で農民の土地を奪い、多くのプロレタリア(賃金労働者)を生み出しました。
こうなった直接的な原因は羊毛の工場制手工業の成長と、それによる羊毛の価格値上がりでした。
やがて領主たちは奪った耕作地を牧草地に変えました。
その後、追い出された農民たちは日雇い労働者に転落しました。
このように暴力による略奪の結果が現代の私有資産に転化したのが「最初の蓄積」の方法のひとつでした。
それは資本主義的農業に必要な土地を占領し、土地を資本の一部に合併し、都市の工業に必要なプロレタリアート(賃金労働者階級)を作り出しました。
この事例から分かるのは、お金になるビジネス(羊毛の大量生産)の登場は、お金にならないビジネス(小規模な農業)を追い出すということです。
現代でも新しいビジネスの登場で古いタイプのビジネスが追い出されるということがよくあります。
例えば、スマートフォンの普及で任天堂の携帯ゲーム事業は失速し始めました。
MP3がスタンダードになった音楽市場、デジカメの普及で姿を消したフィルムカメラ、スマートフォンの登場で低迷するパソコン市場、コンビニエンスストアの登場で閉店する小さなスーパーマーケットなど現代の注目すべきビジネス津波は数知れません。
利潤率の低下と大規模資本
資本主義的生産様式が発展するにつれて、労働生産性も発展し利潤率が絶えず低下する一方、利潤の絶対量自体は増加していきます。
利潤率が低下すると資本家が労働を生産に使用するために必要な最低限の資本の量が増加します。
同時に資本の集積も増加します。 なぜなら、ある限界を超えると利潤率の低い大規模の資本が利潤率の高い小規模の資本より急速に蓄積されるからです。
昔よりずっと高性能なのに値段が安いのは、それが大量生産されるからです。
商品の種類にかかわらず、それが大量生産されると価格は下がり利潤率も低下します。
どの資本も自分の増大のために努力するが、その努力が逆に障壁として立ちはだかります。
にもかかわらず資本が増大しなければならない理由は、その規模が一定以上になると小規模の資本より蓄積に有利になるからです。
例えば、一流の寿司職人が最高の鮮魚で握る高級寿司は確かに利潤率は高いかもしれないが、それより資本の蓄積に有利なのは安値の回転寿司チェーンです。
原材料を大量に購入すると値段が下がるから、大手チェーンは寿司の価格を下げながらも利潤を得ることができます。 こうして「規模の経済」の法則で寿司の価格を下げると客も多くなって売り上げが増大します。
大規模の資本が蓄積に有利なのはこのような理由です。
