夢中になる

意志の力で才能の開花をコントロールすることはできません。自然の流れに任せるしかないです。

しかし、才能が花開くそのときには一般に次のような徴候が見受けられます。

才能の徴候の一つは「熱望」です。

熱望とは、心をとらえて離さず、駆り立てられるような吸引力を感じるといった、強いあこがれの感情です。

イエール大学の学生だったフレッド・スミスという青年が、三年生のときにある論文を書きました。

ハブ・アンド・スポーク方式を利用して航空貨物の夜間輸送をおこなうアイデアについて述べたものです。

空路と陸路を組み合わせることで翌日配達が実現可能だと考え、この効率的なシステムの将来性に彼は夢中になりました。

しかし、このシステムを国内全域に構築するには莫大な費用がかかるうえ、始業第一日目からシステム全体を完璧に機能させなければなりません。

そんな厳しい条件にもかかわらず、彼は卒業後もこのアイデアを主張し続けました。

専門家もビジネス・アナリストも、誰もが実現不可能だと断言しました。

しかし、スミスはあきらめず、出資者を募って7200万ドルの資金を調達し、ついに会社設立にこぎつける。

こうして誕生したのがフェデラル・エクスプレスです。

1973年3月12日、業務を開始したフェデラル・エクスプレスは、国内各地の拠点から貨物便を飛ばし、本拠地メンフィスに終結させました。

このとき扱った荷物は、驚くなかれ、合計六個。開業から数年間は赤字続きで何百万ドルもの損失を出しましたが、やがてようやく黒字に転じ、今では世界的に事業を展開している業界トップの企業です。

すべては一人の大学生の熱い思いから始まりました。

しかし、熱望だけでは才能を見つけるのに十分とはいえません。

自分には向いていないことでもやりたいと思った経験はだれにでもあるはずです。

文学史上に残るような小説を書く、メトロポリタン歌劇場の舞台で歌う、グルメも唸るような料理を作るーこうした夢へのあこがれは、たいてい、名声や華々しさや刺激といったものを求めて描いた幻想なのです。

華やかさへのあこがれによって、選ぶ道を誤るということを実証している調査結果があります。

スタンフォード研究所が、大手航空会社の客室乗務員を対象におこなったアンケート調査の結果です。

それによると、世界各国へ旅ができるといった華やかさにあこがれてこの仕事を選んだ人は、勤務評価が低く、勤続年数も短い(一年半以下)という傾向があります。

それに比べて、人々に気持ちよく過ごしてもらうことに喜びを感じるからこの仕事を選んだという人は、おしなべて評価が高く、ずっとキャリアを重ねていく傾向がありました。

熱望だけで才能を特定することはできませんが、熱望はつねに才能に近いところにあります。

人は自分が得意とする分野に自然と引き寄せられるものです。

熱望が才能のありかを示しているのです。

⭐️ あなたの心をとらえて離さないものとは何か

自分と向き合う

人はだれでも独自の才能を持っています。それぞれに長所があり、興味を持っているものがあります。

休眠状態かもしれませんが、どこかに潜んでいます。育ってきた環境、社会的地位、経済状態、学歴、性格ーそういった条件さ関係ありません。

才能を発見するにあたって最大の障害物となるのは不安感です。

結果を恐れて自分を抑え、才能に向き合ってもいないような時点で、もう限界だと線引きをしてしまう。

不安感から、自分には才能はないとついつい思い込んでしまうのです。

不安感は資金不足、知識不足、社会からの批判などを鋭く察知するため、仕事やキャリアの成功のみならず、美術や文学といった芸術的才能の開花も阻害します。

不安を取り除くように努めると、才能が浮かび上がってくるようになります。

才能を発見しようと躍起にならなくてもいいし、苦労して才能探求の旅を続ける必要もありません。

不安の足かせから解放されると、自然に才能が浮かび上がってくるようになります。

特に努力しなくても、才能を活かしていることに気づくでしょう。

⭐️ 不安を取り除くと、才能は自然と浮かび上がってくる。

才能とは何かを理解する

才能とは生まれ持った潜在的な能力で、得意分野を決定します。 どのような人生を送るかは才能から始まり、その才能を本人がどう扱うかによって決まってきます。

仕事であれ何であれ、とにかくあなた独自の才能を発揮するのに妨げとなっているものがあると、最終的な満足感も目標達成の可能性も失われて、最高の人生を実現できなくなります。

才能とは何かを理解するために、まず知っておいてほしいものが二つあります。

「アドバンテージ(強み)」と「スキル(技術)」

自分を他人よりも有利にしてくれるものが「アドバンテージ」です。 いろいろ考えられますが、いくつか例をあげると、学歴、財産、頭の良さ、人を惹きつける性格といったものがあります。

ただし、アドバンテージは才能を後押しするだけのものであり、決して才能そのものになることはないです。

しかし、人事採用にあたっては、残念ながら、このアドバンテージと才能とが、混同されることが多いです。

実際、履歴書を書くこと自体がアドバンテージ側に傾いた行為だといえます。

学位や資格、課外活動、立派な身元保証人といった事項を履歴書に書き並べるのは簡単ですが、才能を言葉で表すのは難しく、説得力のある表現で伝えることはなかなかできません。

ただ、アドバンテージは才能の強力な味方になってくれます。

経理の才能があるのなら、会計学の学位を取得し、会計士の資格を持つことで才能が大きく後押しされるでしょう。

学歴と同じく、知能の高さは才能ではなくアドバンテージです。

1912年、スタンフォード大学の有名な心理学者ルイス・ターマン教授は、知能指数がその人の一生に及ぼす影響について研究を始めました。

天才児レベルの知能を持つ1470人の子どもを選び出し、その後の人生を追跡調査しました。彼の引退後はロバート・シアーズとポーリーン・シアーズの両博士に引き継がれました。

半世紀に及ぶ研究の末、研究結果が発表されました。

それによると、対象者のうち、立派な成功をおさめた人と、あまり成功しなかった人や失敗した人、その運命を分けたものは「慎重さ、思慮深さ、意志の強さ、忍耐力、希望といった資質のほか、才能に適した道を選び、その道に専念して努力したかどうか」だといいます。

研究対象になった子どもたちも今では老齢に達し、知能だけでは人生の成功は保証されないということを体現しています。

成功した人たちは自分の才能を信じ続けることで成功したのです。

もう一つ、才能とよく混同されるのが、「スキル」です。

スキルは訓練を繰り返すことで身につけた能力で、その分野に必ずしも才能があるとは限りません。

だれもが自分の体得したスキルをいくつも並べ上げることができると思いますが、やっていて特に楽しいと思えなかったり、ほとんど才能が感じられないようなものもあるはずです。

スキルの中でもよく才能と混同されるのが、実戦経験です。

長年一つの仕事をやってきたからといって、その仕事が得意だとか、うまくこなす力があるとは限りません。

教育と同じで、才能は経験によって伸びていきます。

ある仕事に才能を持っている人は、その仕事をしていく中で才能を発展させて成長していき、経験を積めば積むほど力をつけていきます。

しかし、その仕事に関する才能がないまま経験を重ねたとしても、平均的な結果しか出せないし、成長も望めません。

何より憂うべき点は、貴重な時間とエネルギーを才能のない仕事に浪費して、本当に才能のある分野で成長して成功するために使っていない、といことです。

一般的に「性に合わない」仕事でも、苦労を重ねて新しいスキルを身につけていくのが出世への道だと考えられています。

これが実践されると、新米の管理職たちは、オールラウンドに何でもこなせるエグゼクティブになるためという名目で、自分の興味も情熱も才能も顧みることなく、自分に適していない部署を渡り歩くことになります。

しかし本当のところ、自分に合わない仕事を経験しても、せいぜい新しい知識を得るという程度で、新しい才能を発揮するようになるわけではありません。

こうした道をたどって出世する人というのは、それぞれの任務に自分の能力を活かすチャンスを見つけた人たちなのです。

⭐️ 学歴、知能、経験は才能の味方だが、才能そのものにはならない

現実を正しく見つめる

エグゼクティヴの報酬も時間給で決められていると一般的に信じられているが、とんでもない誤解です。

本当に経営の良好な会社は、エグゼクティヴの才能に対して報酬を払っているのであって、勤務時間など関係ないです。

普通の人がだらだらと1日12時間仕事するよりも、自分の才能をフルに活かしている人が6時間働くほうがよっぽど価値があります。

自分が潜在的に持っている最大の力が何か知りたければ、次のようにしてみましょう。

まず自分が得意なこと、やっていて飽きないことは何かを考える。最大限に力を発揮できるような状況に自分を置いてみる。

自分の欠点を知り、その欠点に伴うリスクを減らすために必要な手段を講じます。

そして、もっとも得意なことに対して貴重な時間とエネルギーを注ぐようにするーこれが一番大事なことです。

自分の才能だけに集中している人は、そうでない人に比べて精神的に満足感が高いです。

たとえ大変な労力が必要でストレスがたまる仕事に追われて、肉体的に疲れ切っていたとしても、 彼らは働くことで元気を回復できます。

身体は疲れていても才能を発揮できたことに満足して仕事を終える彼らにとって、仕事は人生の目的であり、生きる意義なのです。

会社生活には、個人的な才能をあきらめさせるような誘惑がたくさんあります。

今より上のポジションは自分にとってあまり意義ある仕事ではないかもしれないが、給料はよくなるし、社内的にも優位な立場で肩書きもアップする。

そんなことを考えて次のポジションに移る。すると二、三年のうちに、自分の仕事に対してほとんど何の意義も見出せず、才能を十分に発揮することもできない状況に陥っているのに気づくことが多いです。

何があなたを抑えつけているのでしょう?才能を信頼して最大限に活かせなくしているのは何なのだろうか?

答えは、不安感です。

不安の声に惑わされて、日々降りかかる難題に立ち向かう力など自分にはない、と思い込む。十分な才能など備わっていない、とあきらめてしまう。

こうして不安によって、生まれたときから約束されていた成功が奪い取られていきます。

キャリアを築いていく中で挑戦していかなければならないのは、この不安に打ち勝つこと、現実を正しく見つめること、そして自分の才能を伸ばして、その天賦の才能を活かす場所を見つけることです。

ひたすら自分の才能を信じることで、不安を克服し、成功を手に入れることができるのです。

⭐️ あなたが輝ける環境を探すには、まずやっていて飽きないことを考える

ひたすら信じる

成功者たちのパワーの秘密は、実は単純明快なものです。自分の才能を全面的に信じること、これに尽きます。

彼らは自分に対処できない状況などないと自信を持っています。いくら険しい道のりでも才能の導きによって乗り越えて行けるのです。

このようなエグゼクティブは、いつも必ず成功しているわけではないし、満点の成績をあげようとしているわけでもありません。

彼らの信念とは、どんな最終目標であれ、自分の才能が最良の結果に導いてくれるとひたすら信じるということです。

たとえ一時的には「失敗」だと思える結果に終わったとしても、最善の決断をしたと自負しています。

自分の才能が道を示してくれると信じているのです。

自分の才能を信じるようになれば、どんな仕事をすることになっても慌てることはないでしょう。

今この瞬間にも、本当に必要な才能はすべてあなたに備わっています。

最高の人生を実現するために必要なものは全部、手にしています。

仕事でも私生活でも、可能性を最大限に引き出すのに役立つ、効果絶大の切り札があなたには与えられています。

才能は天賦のものであり、才能から運命が芽生えてきます。

どんな人生を歩んでいる人でもー裕福でも貧乏でも、頭が良くても教育を受けていなくても、強壮な人も身体に障害のある人も、雄弁な人も内気な人もービジネスで成功をおさめることはできます。

自分はどんな才能を持っているかを理解し、その才能に全幅の信頼を置くこと、これが成功の秘訣です。 ビジネスにおける成功の秘訣とは、いってみれば、これほど単純なものです。

ビジネスの成功というものは、その人の個性的な才能が自然に開花することによってのみもたらされます。

自分の才能を見つけて伸ばしていくようにすれば、生来のリーダーシップのあるべき姿となり、ビジネスリーダーへの道が開けてきます。

他の道とはあまりにも違うかもしれませんが、その人にとっては成功へと続く正しい道です。

しかも唯一の道。最高の結果を成就するためにはこの道しかないのです。

人はさまざまな才能を併せて持っています。

この先も今のまま変わることなく、失われることもありません。

自分に備わった才能を活用して精一杯の成果をあげること、それがあなたに与えられた課題です。

成功のために新たに手に入れなければならないものは何もありません。

他人を真似る必要もありません。

必要なものはすべて手元に揃っています。

⭐️ あなたにはあなただけの個性的な才能がすでに備わっている。

インプリメンテーション(実装)

最後に必要なのは、物理空間での知識

瞑想によって情報場の因果関係を書き換えれば、その情報因果は情報空間から物理空間へと影響を与え、物理空間で現象化します。

情報因果を自らコントロールすることで、世界や自分を思いのままに書き換えることができるのです。

ただし、物理空間で現象化するには、一つの条件があります。

それは「物理空間の制約」をふまえることです。

物理法則の制約がほとんどない場合については、情報因果の影響がスムーズに物理空間へと流れて現象化します。

トラウマが脳神経の傷となり、病気へと発展していくのは、こちらのケースに当たります。

逆に物理法則の制約が大きい場合は、情報因果を物理空間に落とし込むときに、物理空間での仕上げの作業が必要になります。 それが「インプリメンテーション(実装)」です。

情報因果を物理空間に実装するときに不可欠なものは知識です。

物理法則に関する知識だったり、何かものを作るための知識だったり、人間社会の仕組みに関する知識だったり、物理空間の事象に関わる広範で専門的な知識です。

瞑想力は、物理空間のインプリメンテーションとセットになってはじめて、この世界や自分を書き換えるための圧倒的なパワーをもつのです。

インプリメンテーションの重要性については、コンサルティングとコーチングの違いを例に挙げて説明しましょう。

経営コンサルタントは、たしかに瞑想力にすぐれています。

クライアント企業やマーケットの状況(情報)を高い抽象度で分析し、情報因果を組み立て、相手が抱えている問題を解決するための斬新な経営プランを提案できます。

ところが、彼らはあくまで外部の人間であり、クライアントや業界に関する具体的な知識量が足りていません。

たとえば、かつて三菱銀行に来た外資系経営コンサルタントは、三菱銀行のトップに「三菱の名前をやめろ」と提案したそうです。

たしかに社内の人間では絶対に思いつかないような、まさにスコトーマになっていたプランですが、経営陣は決断できなかったようです。

経営コンサルタントは社外の人間ですから、インプリメンテーションを行う具体的かつ実際的な知識が豊富ではありません。だからつねに問題解決ができるわけではないのです。

一方、コーチングの場合は、クライアントのスコトーマをはずしたり、情報因果を組み立てるサポートはしますが、スコトーマをはずすのはクライアント自身です。

なぜならば、圧倒的な知識量をもつクライアント本人のほうが明らかに実装力があり、実際に問題を解決できる可能性が高いからです。

架空の世界を使って臨場感を強めよう 「スターウォーズ華厳瞑想」

解説

お経や聖書にいまいち関心をもつことができないという人は、マンガや映画を使って瞑想しましょう。

昔の日本人にとってお経は身近なものでした。また、キリスト教の国では今でも聖書はとても身近な書物です。

しかし、日本に住む多くの現代人にとっては、お経も聖書も少々縁遠いものではないでしょうか。

自分や世界を変える力をもっているのは、お経や聖書ではなく、あなた自身の心です。

その大原則さえはずさなければ、どんな道具を使って瞑想してもかまいません。

映画でいえば、個人的におすすめなのは70年代にスタートした大人気SF映画「スターウォーズ」です。

「スターウォーズ」が描いているのは、実は華厳の世界です。架空の銀河を舞台にした壮大な物語のなかに、釈迦の教えがちりばめられています。

ここでは「スターウォーズ華厳瞑想」と名づけて、「スターウォーズ」を使って瞑想する際のポイントをお教えします。

ワーク

「スターウォーズ華厳瞑想」は、お経瞑想と同じく、一つ一つのシーンに描かれている情報に意識を向けて、臨場感を強めることが大切です。

特に、物語の背後にある華厳の世界観に留意する必要があります。

強い臨場感を維持したまま瞑想することができれば、「あなたの情報場」と「華厳の世界の情報場」に関係性が生じて、「あなたの情報場」を書き換えることができます。

それでは、「スターウォーズ」の物語のなかで描かれている華厳の世界観について、いくつかポイントを挙げてみます。

フォースとは「心の力」

主人公をはじめとしたジェダイの騎士たちが使う「フォース」という超能力。あれは「心が生み出す力」のことです。

ダース・ベイダーは「十法界」

帝国軍のダース・ベイダーの描き方。エピソード4〜6では彼はフォースの暗黒面に落ちた悪役として描かれますが、もともとは(エピソード1〜3では)心優しき優秀なジェダイの騎士アナキン・スカイウォーカーでした。

彼は、愛する者を守りたいという情動にとらわれた結果、怒りや憎しみに心を支配されてフォースの暗黒面に落ちてしまいます。

しかしエピソード6で、息子であるルーク・スカイウォーカーが銀河帝国皇帝を自らの手で倒します。

ダース・ベイダーのなかには善の心も悪の心もあったのです。

彼自身がどちらを選ぶかによって彼の生き方が変わるということであり、それは十法界と同じ考え方です。

ヨーダやオビ=ワン・ケノービは「観音様」

エピソード4〜6でルークを導く存在としてオビ=ワン・ケノービやヨーダが登場します。

彼らは物理世界でルークを導くだけでなく、自らが死んだ後も時空を超えてルークに語りかけ、彼を導こうとします。

オビ=ワンやヨーダは、いつでも仏陀になれるのに、人々を導くために現世にとどまっている観音様のような存在です。

エピソード6の最後のシーンでは、善の心を取り戻したダース・ベイダーが、ヨーダ、オビ=ワンとともに観音様のような存在として登場します。

どれだけ悪いことをしても、心を入れ替えれば、すべての人が救われますよという結末は、いかにも大乗仏教的です。

ほかにも、宇宙空間をワープして一瞬でほかの場所へ移動するシーンがありますが、ワープはまさに瞑想のパワーですし、ルークが恐怖に向き合うシーンも仏教的な描かれ方をしています。

とはいえ、西洋人が作った映画ですから、すべてが仏教的ではありません。

典型的なのが、帝国軍の宇宙要塞デス・スターが星一つを丸ごと破壊してしまうシーンや、共和国軍がデス・スターを破壊してしまうシーンです。

まるで天罰のように一気に人を殺してしまうのは、西洋的といえるでしょう。

これらのシーンを除けば、大筋は仏教的で、華厳瞑想の道具としてはいい映画だと思います。

空を体感しよう 「般若心経瞑想」

解説

抽象度の高い情報空間で強い臨場感を維持するためのトレーニングとして、言語化された物語を使う方法があります。

物語には、古今東西の文学作品のほか、宗教の教典も含まれます。 仏教のさまざまなお教やキリスト教の聖書、イスラム教のコーランなどです。

物語を使った瞑想は、抽象度を上げたときにも強い臨場感を維持しやすいというメリットがあります。

言語によって描かれたストーリーを読むことで、そのストーリーを実際に体験したかのように、同じ効果を脳に与えることができるからです。

また、言語化されているため繰り返し読むことができるので、脳内で何度でも同じ体験を繰り返し、瞑想空間の臨場感を強化していくことができます。

注意しなければならないことは、どのような物語でも臨場感のトレーニングに使えるわけではないということです。

瞑想に適した物語と適してない物語があるのです。瞑想に適した物語の条件は、「他人が作った抽象度の高い情報空間であること」です。

そもそも自分で作った物語では瞑想はできません。自分の作った物語で自分勝手なイメージをいじくりまわすのは、ただの妄想です。

音楽を例にとるとわかりやすいかもしれません。どんな前衛的なことをやる音楽家も、大前提として音楽の基本ルールである楽曲を学ぶ必要があります。

楽曲を学び、音楽の世界の基本的な方法論を理解してはじめて、そのルールを超える前衛を表現できるのです。

自分勝手に音を鳴らしているだけでは、ただの音の連なり、もしくはノイズであり、そもそも音楽にはなりえません。

さらに、「他人が作った」物語のなかでも、「抽象度の高い」ものを選ばなければなりません。

抽象度の低い物語で他人の情報空間を共有してコントロールできるようになっても、瞑想のトレーニングとしてはあまり意味がないのです。

ワーク

お経は釈迦が説いた教えを記録した、あるいはそれを元にしたテキストで、さまざまなお経が現在まで伝わっています。

サンプルとして「般若心経」の一節を使って、情報空間で強い臨場感を維持するための方法をお教えします。「般若心経」は、空の思想を説くものです。

ところで、お経を読むとき、ただ単に「南無阿弥陀仏」などと唱えればいいと思っている人が大勢いますが、それでは瞑想になりません。

一つ一つの言葉、さらには物語全体に、どのような情報(書き手のメッセージ)が込められているのかを、強い臨場感をもって認識できてこそお経瞑想は意味をもちます。

では、どうすればお経に描かれた情報空間を強い臨場感をもって認識できるのでしょうか。手順は次のようになります。

  1. まずは、一つ一つの言葉の意味や、言葉のなかに描かれている世界を瞑想します。
  2. 一つ一つの言葉のイメージができたら、複数の言葉のイメージをつなげて統合します。つなげて統合することで、一つ上の抽象度のイメージを作ることができます。
  3. イメージの統合を繰り返して、抽象度の階級を一段一段のぼっていきます。最終的にお経に描かれている世界全体が、統合された一つのイメージとして瞑想できるまで繰り返します。

それでは、実際に「般若心経」の冒頭の一節を使って説明しましょう。

「般若心経」の冒頭は以下のとおりです。

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空」

では、一つ目の文節の意味を見ていきましょう。

「観自在菩薩」

「観」と「自」と「在」と「菩薩」という一語一語のイメージを作っていきます。

「自在」とは、荒了寛大僧正によると、「自分の在るところ」「自由自在」という二つの意味があります。

だから「観自在」は「自分のいるところを見なさい」と「自由自在に見なさい」ということです。

「菩薩」は「悟りに向かって修行中の人」という意味で、自らの悟りと人々の救済のために働くことを同じレベルで実践した人のことです。

観自在菩薩は、止観瞑想に秀でた菩薩だったのでしょう。

観自在菩薩をイメージしながら、先入観、既成概念、知識による思い込みなどをすべて捨て去り、自分自身とその周囲を見つめることが、「般若心経瞑想」のスタートです。

般若心経瞑想を実践すると、止観瞑想に秀でた菩薩が、深い縁起の瞑想に成功して、人間のすべての営みが空であることを見極めたというイメージが、あなたの頭のなかにでき上がってくると思います。

そのときの菩薩の気持ちはどうだったのか? どのようなことを感じて、何を思ったのか? 空を見極めるとはどのような体感なのか? 具体的に自分の体感を使いながら、細かく瞑想してください。

個々の言葉の臨場感を維持したまま、個々の言葉のイメージを統合していくことで、強い臨場感を維持しながら抽象度の階段を上がっていくことができ、最終的に抽象度の高いお経の世界全体を、強い臨場感で瞑想できるようになります。

ちなみに、お経瞑想をするとき、もし言語だけではうまく臨場感を強めることができないならば、「仏像」「曼荼羅」などの道具を使ってみる手もあります。

仏教には、「仏像」や「曼荼羅」をはじめ、さまざまな道具があります。これらはすべて瞑想するために、つまりお経に描かれた情報空間に強い臨場感をもつために発明された道具です。

たとえば曼荼羅は、お経の世界を絵というビジュアルで描くことで、臨場感を強めようとしたものです。

描かれている絵には一つ一つストーリーがあります。その絵を手がかりに仏や菩薩のストーリーを強い臨場感をもって瞑想していくことが、曼荼羅を使った瞑想法です。

仏像も同じです。目の前に仏や菩薩の姿をかたどった立体的な像があることで、仏や菩薩の存在を強い臨場感をもって瞑想することができます。

また、金剛杵やシンギングボウルなど密教系の法具類も、臨場感を強める道具、心を制御する道具として使うことができます。

お経瞑想で大切なことはお経の世界を強い臨場感をもって瞑想することです。

華厳経瞑想は強烈なアファメーションにもなる

どのお経でも瞑想はできますが、もっともおすすめしたいのが「華厳経」です。

「華厳経」といわれてもいまいちピンとこない人は、有名な奈良の大仏を思い出してください。

この大仏は、正式名を「毘盧遮那仏」といい、実は「華厳経」の世界をあらわす仏なのです。

「華厳経」は、三世紀ごろに中央アジア(西域)でまとめられ、その後日本にも伝来しました。

奈良時代には華厳宗が成立し、奈良の大仏がある東大寺は華厳宗の総本山として今日まで栄えています。

数ある仏教経典のなかでも「華厳経」は、大乗仏教の深い哲学思想を述べたものとして有名で、菩薩行の実践を強調しています。

「華厳経」の内容をひと言で言い表すのは難しいですが、最大の特徴は描いている世界のスケールのデカさです。

時間と空間を超越したものすごく壮大な宇宙サイズの物語は、読んでいると銀河系のすべてのものがまるで豆粒のように感じられます。

科学では宇宙が誕生して一三六億年としていますが、その年月が一瞬のように感じられます。

壮大さ、スケールのデカさでいえば、古今東西のどんな宗教の経典もかなわないでしょう。

「華厳経」が壮大な物語のなかで説いているのは、「事事無礙」「法界縁起」の思想です。

事事無礙の「事」とは現象もしくは現象界の事物、「無礙」とは物質的に場所を占有しないことです。

つまり、「物事は一つ一つお互いに異なって排除しあうのではなく、溶け合ってとどこおるところがない」という意味です。

法界縁起とは、個別的に見える事象と事象は、けっして無関係ではなく、真理の世界(=法界)では相互に依存して助け合いながら存在しているということを意味しています。

「華厳経」を読めば、あなたという一人の個体がこの宇宙のすべてと無限の相互関係のなかにあることがわかります。

こうした壮大な華厳の世界観を「重重無尽」ともいいます。

無限に重なりあう世界は、いうなれば「たくさんのミラーボールの世界」です。

一個の存在は全面反射のミラーボールであり、お互いがお互いの球を映しあっています。

一つのミラーボールに宇宙のすべてが映り込み、その映り込んだミラーボールがほかのミラーボールにも映って……とすべての存在がつながりあいながら、果てしなくはるか彼方まで広がっている世界が、華厳の世界なのです。

より壮大で抽象度の高い物語のほうが、瞑想のトレーニングには効果的です。その観点からいえば、数あるお経のなかで「華厳経」が最適なのです。

「華厳経」をすすめる理由はほかにもあります。華厳経瞑想は強烈なアファメーション(自分に対する肯定的な暗示)になるということです。

「華厳経」の最後の部分に「入法界品」という物語があります。分量的には「華厳経」の大部分を占めています。

話の内容は、善財童子という少年が五三人の人々を訪ねて、悟りの道を追求するというものです。

五三人のなかには、文殊菩薩や観世音菩薩、弥勒菩薩などのすぐれた菩薩もいれば、釈迦の弟子たち、修行僧や尼僧、少年少女、医師、長者、金持ち、商人、黄金工、船を操る人、仙人、バラモン、国王、隷民、遊女など、さまざまな階級、職業の人々が登場します。

善財童子はその一人ひとりに、「仏の世界とはこういうところ」という話を聞いて回るのです。

たとえば、二五番目に会った尼僧は善財童子にこう語りかけます。

「ここから南方に行くと険難という国があります。その国の宝荘厳という都市に、ヴァスミトゥラーという名前の一人の女人がいるから、彼女のところに行って教えを聞いておいで」

そこで善財童子はその女人を訪ねます。その女人は見事な美しい姿かたちをしていました。

善財童子はその女人にこう問いかけます。 「私は悟りに向かう心を起こしたけれども、どのように実践したらいいのかわかりません。どうすればいいのか教えてください」

すると、女人は「私はすでに「離欲実際」という教えを見に受けて完成しています」と言い、離欲実際のための方法を語りはじめます。

ちなみに「離欲」とは欲を離れること、「実際」は究極の真実という意味です。

このように善財童子は、まるでロールプレイングゲームのように、五三人を訪ね歩き、一つ一つ教えを受けていきます。

「入法界品」は、仏の世界、悟りの世界に入るためのプロセスを描いている物語です。

十法界でいうところの菩薩の世界、仏陀の世界のことです。

餓鬼や畜生といった下のほうの世界についてはほとんど語っていません。抽象度の高い世界を徹底して描いています。

瞑想力を獲得するためには、高い自己イメージをもつことが重要です。

エフィカシー(自分の能力に対する自己評価)が低いまま瞑想をしても、抽象度の高い情報場を臨場感をもって操作することはできません。

その点でも、「入法界品」は、理想的なセルフコーチングになります。

「入法界品」を読む人は、善財童子が悟りの世界に近づいていくプロセスを臨場感をもって瞑想することで、善財童子と同じ教えを五三人の人々から受けることができます。 その教えは、菩薩や仏陀レベルの教えです。

「入法界品」を読み、強い臨場感をもって瞑想することが、「自分は菩薩や仏陀と同じである」という強烈なアファメーションになります。

情報場の操作の鍵は臨場感

臨場感を覚える世界が「現実」である

小説を読んで泣いたり、映画を見てドキドキすることについて、みなさんは当たり前の出来事だと考えて、日ごろ特別に意識したことはないかもしれません。

しかし、架空の世界に臨場感を感じて影響を受けるということは、脳が進化の過程で獲得したとてつもない機能の一つなのです。

私たち人間は、手でさわれないもの、耳で聞こえるもの、目で見えるもの、つまり物理空間の存在に強い臨場感を感じています。

しかし同じように、手でさわれないもの、耳では聞こえないもの、目には見えないもの、つまり実体をもたない情報空間に対しても、私たちは臨場感を感じ、強い影響を受けているのです。

実は、脳にとってはどちらも同じことです。物理的存在であろうと、情報的存在であろうと、臨場感を感じられさえすれば、脳はそれをリアル(現実)ととらえて、生体が反応するのです。

臨場感が強ければ強いほど、情報場のコントロールが容易になるのです。

過去の体験を利用して臨場感を強化しよう 「臨場感と五感のリンク瞑想」

解説

臨場感を強化するためには、知識と経験が豊富であればあるほど有利です。

いかに強い臨場感で抽象思考しようとしても、まったく知らない世界のことは認識できません。

とはいえ、知識・経験が少ないからといって、あきらめることはありません。

人間には「ゲシュタルト能力」があるので、知らない事象であっても類似の知識や経験を駆使して臨場感を強めることができるのです。

たとえば、「ハワイにいる自分」を瞑想するとします。実際にハワイに行ったことがあれば、そのときの知識や経験をベースにして瞑想してください。

明るく澄みきった青空、広い海で泳ぐ気持ちよさ、街のざわめき、ビーチの開放感などを心のなかで再現するのです。

もしハワイに行ったことがなくても、日本の海で泳いだ経験やハワイに行った友人から聞いた話、テレビや雑誌などで見聞きしたハワイの知識があれば、強い臨場感をもって「ハワイにいる自分」を瞑想することができます。

ワーク

ステップ1 過去の出来事から喜怒哀楽の感情を思い出し、その感情から体感を引っ張り出す

過去の出来事(実際にハワイに行った経験、もしくはそれに類似する経験)からうれしい、楽しい、気持ちいい、面白い、清々しいなどの感情を思い出し、次にそれらをリアルな体感として感じてください。

たとえば、楽しければ身も心も弾みます。

面白いときは笑い過ぎてお腹がよじれそうになります。

清々しいときは心が軽くなるように感じます。

悲しいときは胸が苦しくなります。

怖いときは足がすくむ感じがします。

感情は、必ず何らかの体感を伴います。難しく考えず、感情に伴う体感を素直に思い出すのです。

ステップ2 体感を少しずつ強化する

ステップ1で引き出した体感のままでは抽象度が低く、ステップ3にうまく移行できません。そこでこのステップ2では、体感を少しずつ強化します。

体感や感情をいきなり二倍、三倍にするのは難しいですが、人間の無意識はあまり賢くないので、一割増しぐらいならば簡単にできます。

まずはちょっと一割増しぐらい強めて、それができたらさらに一割増し、と徐々に強めていきましょう。

「うれしい」はもっとうれしく、「楽しい」はもっと楽しく、といった感じです。

体感が一割増しになるたびに、抽象度も少しずつ上がっていきます。

二倍、三倍ぐらいに強化できれば、体感はかなり抽象化されています。

ステップ3 体感を色や音、触感などで表現する

強化した体感を、次は色、音、におい、味、皮膚感覚など別の感覚に書き換えます。

この書き換えには決まったルールはありません。

「楽しくて身も心も弾んでくるような体感は、赤い色」「面白くてお腹がよじれそうな体感は、ピンポン玉が跳ねる音」「清々しさで胸がスーッとする体感は、ミントのにおい」など、自分が感じるままに書き換えます。

このとき、もともとの感情の臨場感も維持するように意識してください。

先ほどの例でいえば、「赤い色を思い浮かべると、身も心も弾んでくる」「ピンポン玉の跳ねる音をイメージすると、お腹が苦しくなるほど笑えてくる」「ミントのにおいを感じると、心がスーッと軽くなる」 というように、臨場感と五感による書き換え情報がリンクするようにするのです。

余裕が出てきたら、ステップ3の状態でさらに臨場感を一割ずつ強めていくといいでしょう。

色をどんどん濃くしたり、音を大きくしたり、香りを強くするだけで、簡単に強めることができます。

このトレーニングを繰り返すことで、抽象度の高い情報空間で強い臨場感を維持するコツを身につけることができます。

情報場をコントロールしよう2

不幸な人、うつ病の人は脳内のセロトニンが少ないことが知られています。

だからといって、物理的にセロトニンの量を増やせばその人がハッピーになるかといえば、一時的にうつの症状は改善されるかもしれませんが、本質的にはハッピーにならないのです。

本気でハッピーになりたければ、情報場を書き変える、つまり情報抽象度の高いところでハッピーになる必要があります。

誰もが、幸せについての自分なりの考え方をもっているはずです。

言い換えれば、「幸せの情報場」です。

たとえば、「家族がいることが幸せ」「恋人のいることが幸せ」「お金があることが幸せ」などでしょうか。

そうした情報場の因果関係があるために、物理空間で家族がいない自分、仕事がない自分、モテない自分、お金がない自分を不幸だと感じ、うつになってしまうのです。

この人をハッピーにする方法は二つあります。

一つは今ある情報場の因果関係に基づいて、物理場を直接変えることです。

たとえば、家族を見つけてあげたり、待遇のいい仕事を見つけてあげたり、彼女や彼氏を紹介したり、たくさんのお金をあげたりすることです。

しかし、物理場を直接変えるのは大変な労力がかかりますし、実現させるのは困難です。

どこまで満たせばいいのかもはっきりしません。

この人がもし「一億円ないとハッピーじゃない」と思い込んでいれば、100万円や1000万円あげたところで幸せになりません。

そこで、二つ目の方法です。

幸せに関する情報場そのものを書き換えてしまうのです。

たとえば、「恋人がいないと誰にも束縛されずに複数の異性と付き合えるから幸せ」「これから新しい魅力的な恋人と出会うチャンスがあるから幸せ」「自分の好きなように時間が使えるから幸せ」というように考えれば、現状は「不幸な境遇」ではなく、むしろ「幸せな境遇」になります。

またさらに、「恋人がいるかいないかは、まったく関係ない。自分の決めた夢に向かって自由に生きることが本当の幸せだ」などと、より抽象度の高い幸せの概念を情報場に書き込むことができれば、その人は、現状のなかにそれまで見えなかった幸せの兆しを発見することができるでしょう。

その結果、幸福感を得て、うつ病から脱却できる可能性もあるのです。

情報場の場の因果関係を正しくかつ自由自在に見ることができれば、情報空間を自由自在に書き換えることができ、自分や世界のあり方を自由自在にコントロールすることができます。

また、より大きな影響力を物理空間に与えようと思うのなら、できるだけ抽象度の高い情報場に仕掛けることがポイントです。

情報場の抽象度が高ければ高いほど、物理空間に働くエネルギーはより強く、より広範になります。

たとえば、仏教やキリスト教などの世界宗教を考えてみてください。

「釈迦の教え」「キリストの教え」という情報場は非常に抽象度が高く、だからこそ何千年にもわたって全世界の人々に影響を与えているのであり、その教えに触れた人々のなかには人生観・生命観の根本を書き変えられるような強烈な体験をする人もいます。

釈迦やキリストの教えに触れることで、絶望の淵に立っていた人が生きる希望を見つけたり、今までとはまったく違う新しい生き方ができるようになるのも、彼らの教えの抽象度の高さゆえ、物理空間へ働くエネルギーの大きさゆえなのです。

自分や世界を劇的に変えたければ、より高い抽象度で情報場の因果関係をコントロールすればいいのです。

ただ、問題が一つあります。

抽象度が高くなるほど、臨場感は弱まり、リアリティも薄れます。 そうなると、情報場をコントロールすることが難しくなります。