価値の交換がお金を動かす

お金は資本主義社会の血液である。 ではその血液を流す原動力とは?

市場でお金を動かす原動力は、商品である。もっと具体的には、商品の使用価値がお金を流通させる原動力だと言うことができる。

労働の量を測るには

商品に含まれる労働の量は、どのようにすれば測定できるだろうか?

それは簡単で、労働にかかった時間から求めれば良い。労働時間を週・日・時間の単位で測定することだ。

ということは、下手だったり怠ける労働者の生産品は、労働時間が長いから価値が高くなるのか?と疑問を持つ人もいるだろうが、そうではない。

社会全体で生産されたすべての商品に含まれる労働を、ひとつで、巨大な均質な塊だと思えば、そのなかのひとつの商品に含まれる労働の量(=商品の価値)は、その商品ひとつ分の量である。

だから商品が含む労働時間は、その社会の一般的な生産手段と平均的な効率でかかった労働の量である。

労働と使用価値と交換価値の関係

使用価値があっても、交換価値がない物もある。 それは、その有用性が人の労働力による産物ではない場合である。

空気や土、自然の牧草などがそうだ。

使用価値もあり、労働力の結果でもあるが、商品ではない物もある。

自分が使うために生産する物がそうだ。

つまり、商品を生み出すためには、自分ではなく他人のための使用価値、つまり社会的使用価値を、労働力によって作らなければならない。

他人のために生産しても、商品にならない場合がある。

中世の農奴は、自分の領主のために農作物を生産した。しかし、その農作物は彼らが他人(領主)のために生産した物だが、商品とは呼ばない。 それが商品になるためには、交換を通じて他人に移す必要がある。

使用価値がない物は、含まれる労働も併せてその価値を失う。 その労働は交換価値を生み出さないから、労働として認められない。

価値を生み出す有用労働

使用価値がない物は、それに含まれる労働にも価値がない。

その労働は交換価値を生み出さないから、労働として認められない。

労働の有用性は、労働が生産した商品の使用価値により決まる。

商品に使用価値を与える生産的な活動を、「有用労働」と呼ぶ。

使用価値には膨大な種類がある。 そして、それぞれを生み出す有用労働にも、同じく膨大な種類がある。

商品生産は分業で行う

商品の生産には分業が不可欠だが、分業に商品生産が不可欠というわけではない。

インディアンの社会にも社会的な分業があったが、商品は生産しなかった。というのも、資本主義社会の工場では労働がシステムごとに分業されているが、インディアンのように工場内で生産物を交換することはない。

また、社会で交換される商品は、質的に違う種類の労働によって、独立的に生産された物でなければならない。

全ての商品には有用労働ー具体的な目的を持って行われた生産的な行為ーが含まれている。

商品に含まれる有用労働が、他の商品に含まれる有用労働と質的に違うからこそ、商品としての有用価値を持つ。

生産者たちの有用労働の質的な違いが、社会の分業を生むのである。

商品の価値

商品は、鉄、服地、穀物など、それぞれに使い道がある。

だが、商品を商品たらしめるのは、二面性、つまり使用の対象であると同時に、価値を持っているからである。 商品の価値は、他の商品との相対的な関係で表現される。

例えば「20メートルのリンネルは1着の外套と同等」のような等価関係である。

どの商品も自分自身に対しては等価関係を結ぶことができないため、他の商品との等価関係で価値を表現しなければならない。

ということは、価値の背後には社会的関係が隠れていることを暗示している。

といっても、商品の価値は比較の結果ではない。比較によって、商品に内在する使用価値が可視化されただけのことだ。

あくまで他の商品に対する等価価値は商品の実体によるものであり、それはすなわち、人間の労働が実体化されたものだ。

イビキ防止枕

物神崇拝

商品の価値は、他の商品との比較という、社会的関係を通じて見えるようになる。

だから商品を作り出した人間たちの社会的関係も、まるで物たちの関係のように見える。

例えるなら、宗教の世界では人間の頭脳の産物が実在の人物のように登場し、それらがお互いに関係を結んだり、人間と関わったりしている。

商品の世界では、人間の産物である商品がこのように振舞っている。

この現象を「物神崇拝」と呼ぶことにする。物神崇拝は労働の産物が、商品として生産されたとたんに付加されるものであり、商品の生産とは切っても切れない関係にある。

交換と貨幣

商品は、それを持つ者にとっては使用価値がない。所有者にとっての使用価値があるならば、最初から市場に出ていないはずだからだ。

商品はあくまで、それを持っていない人にとっての使用価値を持つ。 だから、すべての商品は交換されなければならない。

交換のとき、商品の価値を知るためには、ある基準となる商品と比較する必要がある。

特定の商品がその基準になるためには、社会的な過程が必要不可欠だ。

社会的な過程を通じて、その商品の特有の機能は排除されていき、それは貨幣になった。

貨幣の役割

価値は、他の商品の価値との比率として比較される。

そこで円滑な交換のために、交換手段として適切な商品が貨幣の役割を担うようになる。

やがて均質な量で価値を表すことができる、貴金属が貨幣の役割をするようになる。貴金属は自由に分割することもできるし、再結合させることもできる。

難しいのは、「お金も商品の一種」だということを理解することではなく、商品がなぜ、お金になるかである。

お金は、他の全ての商品と同じく、自分の価値を他の商品との相対的な価値でしか表現することができない。

お金の価値も、それを生産するために必要な労働時間で決まる。

黄金と銀は、土から採掘されるやいなや、人の労働を直接的に具体化する。

情報は、「狩り」にいくもの

インターネットやスマホなどが社会の仕組みを大きく変えた。 知らないうちに、世界中のすごい人たちや頭のいい人たちが(しかし、皆、最初は何者でもない無名な人)、新しい技術を開発し、世の中を変えている。

時代に取り残されないためには、どうすればよいのだろうか。また、自分のお金や時間などのリソース(資源)を他者に奪われないためには、どうすればよいのだろうか。

「情報を高速で取捨選択する力」が、今後ますますカギになると考えている。

有益な情報を効率よく大量にインプットして、自分が望むときに、ベストな形でアウトプットする。 そんな姿勢が身についていれば、誰かに騙されたり、いいように使われたり、操られたりせず、どんな未来でも生き抜けるだろう。

「情報とは、自分から積極的に取りにいくもの」、向こうから舞い込んでくるような情報には、むしろ警戒したほうがよい。

幸運にも、現代では、「情報を手に入れる」ためのツールは揃っている。 スマホのニュースアプリを使ってもいい。SNSを駆使して、「興味のある人」「先を行く人」の発信をフォローし続けてもいい。

そして、情報をハントする「狩り」が終わったら、次は自分の頭で考え、自分なりの言葉で世界中に発信し、頭の中を整理するクセをつける。

早い段階からグローバル化に気づき、情報を効率よくインプット&アウトプットするクセがついている人は強い。

見方を変えると、現代では「権威」や「権力」におもねらずとも、先人の素晴らしい知恵や技術にネット経由で触れられるようになった。 自分で「狩猟」できるようになった。それほど素晴らしいことはない。

シャワーのように情報を浴びる

使える情報を手に入れるには、情報の選択眼を養うことが必要 そのためには、「質より量」。 前提として「圧倒的な量の情報」のインプットが大切になってくる。

極論をいうと、取り入れた情報は、すぐに忘れてもかまわない。本当に大事な情報は脳の片隅で待機してくれている。

大量のインプットをし続けると、情報の取捨選択が飛躍的に上手になっていく。同時に、インプットの方法まで最適化されていく。

考える、調べる、試す。 「思考実験」を繰り返す

「情報を浴びる」というインプットだけでは、実は足りない。単なる「情報メタボ」の状態に陥ってしまう。

情報のシャワーを浴びることに加えて、「自分はどうすればよいのか」という「思考実験」を繰り返すべきだ。「考える、調べる、試す」ということをやり続ける。

「自尊心」を育てる

セルフ・イメージは「成果」と一致している

セルフ・イメージを上げる「10の約束事」

①「心のつぶやき」まで前向きに

自覚しているかどうかはわかりませんが、人間は四六時中、心の中で自分と会話しています。

あなたは自分に何を語りかけているでしょうか。自分で自分を励ましているのか、それとも自分をけなしてばかりなのか。前向きな言葉をかけているなら、前向きなセルフ・イメージをつくり上げられるし、後ろ向きな言葉をかけているなら自尊心はボロボロになります。

自分で自分を励まし、応援すること。 いい仕事をしたときは、自分で自分をほめる。

怠け心に打ち勝って、決めたことを実行できたときは、それが自分にとってどんなにプラスになるかを認める。

失敗したときは、自分の欠点をあげつらうのではなく、失敗は成長への第一歩であり、次はもっとうまくやろうと、自分に言い聞かせる。

前向きな考え方は、きっとあなた自身のためになります。

②他人と比べない

自分と他人を比較すると、他の人たちがみんな自分のずっと前を歩いているような気がしてやる気を失うか、そうでなければ、自分のほうが優秀だと思って天狗になります。

自分と他人との比較より、自分の成長に集中すること。自分を比較する相手は自分しかいません。今日の自分が、昨日の自分より進歩していることが大切です。

今日できることに焦点を絞り、改善と成長を目指すこと。それを繰り返していけば、数週間前、数ヶ月前、数年前の自分を思い出して、今の自分と比較し、さらに成長したいという気持ちになるでしょう。

③自分の限界(リミッター)を外す

困ったことに、多くの人が自分を信じることに懐疑的です。自分には大きなことを成し遂げる能力がないと思っています。しかし、私たちが直面する最大の障害は、自分で自分に設けている限界です。

ジャック・キャンフィールドは、「絶対に成功を呼ぶ25の法則」という本の中で、このような自己限定的な考え方を打ち破り、活力をもたらす考え方に変えるための四つの提案をしています。

・「自分を制限する考え方」を明確に する。 ・その考え方がどのように自分を制限しているかを明確にする。 ・自分はどうなりたいか、どのように行動したいか、どのように感じたいかを決める。 ・新たなあり方、行動の仕方、感じ方を確認する「方向転換宣言」を書く。

④「他人の価値」を認める

自尊心の低い人は、自分が取るに足りない人間だと感じやすく、自意識過剰になり、自己防衛本能が強く、自分勝手になりやすいです。

もしあなたがそう感じているなら、他人のために尽くし、その人の価値を高めてあげることで、そうした感情を払拭できます。たとえ小さなことでも、他人の人生にプラスの影響を及ぼせると自尊心は高まります。

⑤困難でも「正しいこと」をする

自尊心を持つには、正しいと思うことをするのが最善の方法です。

人格の形成につながる正しい行動を取るたびに、人は強くなっていきます。そしてより困難な課題に立ち向かい、人格を高めていきます。

前向きな姿勢は人生のあらゆる側面に広がっていき、何をするにせよ、自信に満ちあふれ、積極性が増すので、自分らしく振る舞え、そのことが自信につながっていきます。

⑥毎日一つ、「自分で決めたこと」を実行する

とても自分には達成できそうにない目標があるなら、一気に片づけようと思うのではなく、毎日少しずつ取り組んでいくことです。

自尊心が持てるかどうかは、毎日の前向きな習慣や行動、判断にかかっているのだから、日々の行動によって自尊心を着実に高めていき、同時に大きな問題を解決する道を探ることです。

毎日「こう」と決めたことを実行すると、やる気が起きます。たとえささやかなことであっても、正しい方向に向かって一歩ずつ前進することで気持ちが高揚します。

⑦小さな勝利を祝う

いいことが何もないと、やる気がなくなります。小さなことでも自分をほめたたえると、勇気が湧いてきます。 引き続き頑張ろうという気持ちになります。その効果を見くびらないことです。

⑧「明るい未来」を思い描く

自分の価値観に基づいて、そこからどのような人生が開けるかを思い描くことができたら、前進するために行動しようと思うに違いない。

そして、行動の一つひとつが自信につながり、さらに前進を促す原動力になります。

⑨「前向きな言葉」で自分を規定する

⑩自分の人生に責任を持つ

自分なりの人生計画や目標がないと、誰か別の人の人生に取り込まれてしまいます。

自分の人生は変えることができます。 どんな環境で育ったかとは関係なく、あなたはよりよい人生を実現できます。

ただ自分を信じて、歩み出せばいいだけです。そして一歩前進するたびに、前向きに考え、正しい選択をし、少しだけ規則正しく行動すれば、一歩ずつ目標に近づいていきます。

立ち止まらずに前進し続け、そして信じ続けましょう。

現代のお金とは何か

お金は、商品の中でもとびきり特異な性質を持っている。すべての商品は使用価値と交換価値を併せ持っているが、お金は交換価値しか持っていない。

特に、貴金属と関係がなくなった現代の貨幣には、使用価値がまったく存在しない。物理的な性質だけを見れば、1万円札の紙幣ですら、ただの紙切れに過ぎない。

紙幣の価値は昔の黄金とは違って、実際の価値に基づいていない。 だが、皆がその紙に1万円の価値があることに同意している。実際の価値ではなく、「信用」に基づいている紙幣、これが「信用貨幣」である。

紙幣の登場は、銀行の登場と深い関係がある。 昔、お金として使われた黄金は高価だったので、安全な場所に保管しなければならなかった。

そこで自分の金庫を提供し、黄金を保管する人物が現れた。彼は少々の保管料をもらって他人の黄金を金庫に保管してあげた。 これが銀行の起源である。

銀行は、黄金を保管した人には預かり証を発行した。それを持って銀行に行くと、銀行はそれに当たる黄金を金庫から取り出す。 こうなってくると、預かり証は黄金と同じ価値を持つ。紙だから黄金を持ち運ぶよりはるかに楽だ。 これが紙幣の起源である。

金本位制下の貨幣は、このように「貨幣が黄金の預かり証の役割をする」ということを意味する。

銀行では、保管する黄金が増えてくると、これを放っておくのはもったいないと感じ、預け主に内緒でお金が必要な人に紙幣(預かり証)を貸し、利子を得る貸し金業を始めた。

こうして銀行の持ち主はどんどんお金持ちになった。それを知った預け主たちは、勝手に顧客の黄金を運用してお金を稼ぐ銀行に腹が立ったことだろう。

しかし、それはお金で解決された。 貸し金業で稼いだ利益の一部を、黄金を預けた顧客に還元するようにした。こうすれば保管料を支払う必要もないし、逆に黄金を預けるだけで利子をもらってお金を増やすことができる。

銀行は、お金を借りる人から利子をもらい、お金を預ける人には、それより低い利子を還元した。その差が銀行の収入になった。本格的な金融の始まり

やがて経済の規模がどんどん拡大するにつれ、世界全体の富と比べて、採掘される黄金の量が不足し始めた。 もはや全世界のGDPは、地球全体の黄金の埋蔵量より価値が高くなっている。

「紙幣が金の預かり証である」という「金本位制」はこうして崩壊した。 というわけで、今私たちが “お金”と呼ぶものは、黄金とは関係がない、社会的な同意の上で作られた人為的な概念である。

銀行のサーバーに記録された数値が現代のお金の実体 目に見える紙幣は全体の通貨のごく一部に過ぎない。

目に見えない概念が、我々の生活を支配している

資本とは?

商品の流通は、資本の出発点である。お金が「資本」なのか、それとも「ただのお金」なのかは、その流通形態の違いによって決まる。

商品流通のもっともシンプルな形は、商品→お金→商品 である。

これは商品を売ってお金を得て、そのお金で他の商品を買うことだ。これは商品がお金に変容し、お金が再び商品に変容すること、もしくは買うために売ることである。

だが、私たちはこれ以外の形の流通を知っている。 それは、お金→商品→お金 である。

これはお金で商品を買い、その商品を売ってお金を得ることだ。お金が商品に変容し、そして商品が再びお金に変容すること、もしくは売るために買うことである。

このように流通するお金を、「資本」と呼ぶ。

流通の目的と原動力

「商品→お金→商品」という流通は、ある商品から始まり、ある商品に至って終わる。

そしてその商品は消費され、流通から外れてしまう。この流通の最終目的は消費なのだ。つまり、使用価値がこの流通の目的である。

逆に、「お金→商品→お金」という流通はお金から出発し、最後にはお金に戻る。だからこの流通の目的と、それを起こす原動力は、交換価値それ自体である。

工業も商業と同じ

売るために買う、もしくは高く売るために買うことは、商業に限ったことだと考えがちだが、実は工業の資本も同じ方式で動く。

工業では、お金で原材料を買い、商品を作ってそれを売ってお金を得る。 つまり工業も結局、商業と同じく、お金→商品→お金 と表現することができる。

途中の商品を省略してみると、お金→お金’ になる。つまり、元のお金がより高い価値のお金に変化している。 これは分野を問わず、一般的な資本を表現する公式なのである。

流通は価値を生まない

同じ価値の商品が、お互いに交換されても剰余価値は生まれない。 流通、つまり商品の交換だけでは価値を生み出さない。

「お金→商品→お金」のように、高く売るために買うという循環は、流通の世界で起こるものである。 このような交換は、等価のもの同士が交換されることになり、剰余価値は生み出さない。

このような方法で商人が得た利益はただ、買うときと売るとき、二重であげた利益に過ぎない。

お金の資本への転換も、このような商品の交換の掟を守らなければならない。

だから、資本家は、商品をその価値で買い、その価値で売りながらも、最後には自分が投資した価値より多い価値を作り出さなければならない。

「戦う自分」をつくるために今やるべきこと

①ライフ・スタンスという生き方の軸を選ぶ

「ライフ・スタンス」とは、自分自身、他人、そして世界に対するあなたの姿勢、前提、期待の基準となる枠組みのことです。 たとえばお金に対する姿勢、健康についての前提、子どもの将来に対する期待などがこれに含まれます。

ライフ・スタンスによって、その人のものの見方が決まります。 多くのことにおいて楽観的か、悲観的か。快活か、陰鬱か。騙されやすいか、疑り深いか。社交的か、人見知りか。勇敢か、臆病か。太っ腹か、ケチか。寛大か、利己的か。

常に前向きなライフ・スタンスを持っている人は、それほど苦労せずにつらい経験を成長に結びつけられます。

人生では何が起こるかわかりません。しかし、それをコントロールできるか否かは、あなたの姿勢にかかっています。

②創造力を働かせ、マイナスをプラスに変える

つらい経験をして、苦しんでいるとき、創造力があれば、苦しみをプラスに転ずることができます。その秘訣は、怒りのエネルギーを利用して問題を解決し、そこから学ぶべきことを学ぶことです。

つらい経験をしても、やる気をなくしたり、我が身を呪ったりせずに、創造力を働かせるにはどうしたらいいかを考えたほうがいいです。

③つらい経験に意義を見出す

時間が経てば経つほど、苦しかった経験の中にもプラスの面があったことに気づくようになります。

苦しみの真っ只中にあるときは、なかなか前向きに考えることができません。もしそれができれば、あなたはどんなときでも、経験から学ぶことができます。

④行動を変え、感情を刺激する

「ジョン・コッターの企業変革ノート」の著者、ハーバード大学ビジネススクールのジョン・コッターと、デロイト・コンサルティングのダン・コーエンは、こう説明します。

「行動を変えるには、考え方に影響を与えるような分析を行なうよりも、感情に影響を与える現実を見たほうがいい。思考も感情も不可欠なもので、成功を収めている組織にはどちらもあるのだが、変化の核心は感情の中にこそある

つらい経験が、心の中に強い感情を引き起こすと、人はその感情に立ち向かい、変えようとするか、あるいは逃げようとします。

感情を変化の促進剤として利用し、正しい選択をするにはどう変わればいいかを、とことん考え抜いてから行動を起こすのが大事です。

⑤「自己憐憫」に浸らない

自分を取り巻く状況によって、自分という人間が規定されることはないです。

状況はあくまでも自分の外側にあるもので、自身の価値観や判断基準に悪影響を及ぼすとは限らないです。

同じく、あなたは自分の人生と自分の選択の責任は、自分で取らねばなりません。

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あらゆることを学びの機会に変える方法

好奇心を育てるための10の提案

①自分の「小さな枠」を取り払う

自分で自分に限界を設けてしまう人は多いです。 自信やプライドのなさから自分の周りに壁を築き、枠にはまった考え方しかできないようにしている。 それでは可能性を発揮することはできません。

ただ、その能力が無いわけではなく、考え方の枠を広げ、新境地を開拓することに対して積極的でないだけです。

好奇心旺盛で成長していく人と、そうでない人の唯一最大の違いは、自分に学び、成長し、変わる力があることを信じているか、いないかです。

②「初心」を忘れない

年齢は好奇心がないことの言い訳にはなりません。好奇心が旺盛か否かは、「生きる姿勢」と深い関わりがあります。

その一つが「初心を忘れない」ことです。それは、答えがわかるまで疑問を持ち続け、何度も質問をするということです。

初心を忘れない人は、自分をよく見せたいという欲求より、もっと学びたいという欲求のほうが強く、決められたルールや、いわゆる誰にでも受け入れられやすい考え方の影響を受けにくいです。

③「なぜ」を座右の銘にする

アルベルト・アインシュタインは言う

「質問をやめないことが大切なのではない。 好奇心にはそれなりの存在理由がある。 永遠について、生命について、現実の驚くべき構造について、その不思議さを考えるとき、人は畏敬の念を覚えざるを得ない。 毎日、こうした神秘について、少しずつ理解する努力をするだけでも十分だ。神聖なる好奇心を失ってはならない」

彼の言う「神聖なる好奇心」を持ち続けるには、「なぜ」と問い続けることです。

米国で最も有名なスピーカー、ブライアン・トレーシーは、「的を射た質問は、独創的思考を活性化する。的確な質問は物事の核心に迫り、新たなアイデアや知見を得るきっかけになる」と述べています。

好奇心の強い人は、解決策につながるような質問をして、一歩でも前に進もうとします。

④好奇心を共有する仲間はいるか

好奇心を育て、成長を促進するには、他の人たちと好奇心を共有したほうがいいです。

好奇心旺盛な人たちに囲まれていると、好奇心は感染します。好奇心を高め、維持するためには、これが一番いい方法です。

⑤毎日、新しい発見をしているか

いつも好奇心を持ち続ける最善の方法は、朝起きたときに、今日も新しいことを学び、これまでにない経験をし、会ったことのない人に会うぞと心に誓うことです。

これを実行するために必要なことは、新しいものを受け入れる姿勢を持つこと。目覚めた瞬間から、その日出会う「学びのチャンス」を予想しておくこと。

一日中、目と耳を研ぎ澄ましていること。成功する人は一日を楽しみ、心を研ぎ澄ませています。

成長し続けるためには、集中力を絶やさず、新しい経験を見逃さないように、感性と意識を全開にしておくことが大事です。

また新しい経験も、経験しただけでは意味が少ないです。新しいものを見聞きしたら、それを何かに応用することが大事です。

⑥「失敗」を貴重な経験と考えられるか

成長し、進化している人にとって、失敗は進歩の証です。彼らは、いろいろなことに挑戦すれば、一度も失敗しないで済むことはあり得ないと知っているからです。

失敗は、好奇心の旅の一部です。 だから、失敗は彼らにとって友達で「なぜ、こんなことが起きたのか。ここから何を学ぶべきか。ここから成長するにはどうすればいいか」と考え、それが成長と、未来の成功につながっていきます。

⑦いつでも改善の余地を探す

問題にはいくつもの答えがあるのが普通です。

「頭脳を鍛える練習帳ーもっと柔軟な頭をつくる!」の著者、ロジャー・フォン・イークは言います。

「芸術、料理、医学、農業、工学、マーケティング、政治、教育、デザインの分野における進歩のほとんどは、誰かが既存のルールを曲げて、別のやり方を試したからこそ達成できたものだ」

あまりにも居心地がよく、人生が停滞していると感じたら、疑問を持ち、「もっといいやり方があるのではないか」と考えてみましょう。

⑧「人の目」を気にしない

私たちはもっと子どものように振る舞うべきだと思います。子どものいいところは、とにかく何でも人に聞くことです。 子どもは、人の目なんか気にせず、「ただ、やる」そして、そこから学びます。

⑨決まりきった日常から一歩抜け出す

考えるときに、自分で決めた枠組みから一歩外に出て、どうすれば私にできるだろうかと考え、アイデアを追いかけるのが大事です。

⑩「仕事」と「遊び」の境目をなくす

常に好奇心を持ち、成長を続けるには、人生を楽しむのが大事です。

「人生を楽しみ、よく生きる」とは、危険を顧みず、ときには失敗し、ときには成功するが、絶えず学び続けることです。

人生を楽しんでいると、仕事と遊びの境目がよくわからなくなります。 自分が好きなことをやり、やっていることが好きになります。

そして、あらゆることが学びの機会になります。

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「飛躍」の前には力をためるときがある

つらい経験をしたとき、あなたはどのように反応するでしょうか?

ジョン・マクドネルは、「困難にぶつかったとき、人は自分がどんな人間かがわかる」と語りました。

つらい経験をすると、人は自分のことを前より少しだけ理解できます。 苦しみから一歩も前に進めなくなったり、先延ばしにしていた決断を迫られたり、なかったことにしていた問題と向き合ったり、気の進まないことを実行する必要に迫られます。

つまり、苦痛によって、自分の現状と問題に正面から取り組まねばならなくなります。そして、苦痛をどう処理するかが、あなたの人となりを決めます。

「知的好奇心」がブレイクスルーを生む

「なぜ」の数だけ人生はエキサイティングになる

好奇心が大切なのは、人生は一生勉強であり、成長し、進歩するためには、どうしても学び続けなければならないからです。

好奇心旺盛な人は、知識に飢えています。人生、人間、思想、経験、出来事に関心があり、絶えずもっと学びたいと思っています。そしていつも「なぜ」と、理由を知ろうとします。

好奇心は、平凡なアイデアを膨らませ、可能性を広げてくれます。

「なぜ」と考えることで、想像力に火がつき、新たな発見へとつながっていきます。平凡の壁を乗り越え、非凡な生き方を可能にします。

石橋を叩いて渡るのがいいといいますが、「世界を牛耳っているのは、想像の世界にある橋を、他の誰も渡らないうちに渡った人間だ」と言う人もいます。

ノーベル賞物理学者、アルベルト・アインシュタインの、「すべての重要で、持続性のある変化は、想像の中で生まれ、やがて外に姿を現わす」という言葉も、同じことを言っています。

アインシュタインが数々の発見を成し得たのは、彼の知的探究心によるところが大きいです。彼自身、自分の好奇心旺盛な性格と想像力を最大の長所と考えています。

人は自分の行動に一貫性を持ちたがる

段階的に要求を受け入れると、一貫性を持ちたいという心理が働く

訪問販売員に「話だけでも聞いてもらえませんか?」と言われ、断るつもりでしぶしぶ話を聞いていたらいつの間にか商品を購入していた、という経験はありませんか?

このように相手が承諾しやすい小さな要求から段階的に要求を大きくし本来の要求を成功させる技術を「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」と言います。

この技術を調べるためにフリードマンとフレージャーは戸別訪問による実験を行いました。

実験者たちは、「交通安全の市民会」と称して住宅街を訪問し、「安全運転をしましょう」と書かれた看板を玄関先の庭に設置させて欲しいと頼みました。

ふつうに看板設置を要請した場合の承諾率は16.7%でしたが、2週間前に小さな要請を承諾した家の場合は、なんと承諾率が最大で約76%まで上昇したのです。

2週間前に行った要請は全部で4パターンあり、看板設置のときとは別の団体として訪問しました。

ひとつ目は「安全運転」と書かれた10センチ角のステッカーを車や窓に貼ってもらうという要請。ふたつ目は地域美化のステッカーを貼ってもらうという要請。3つ目は交通安全の立法化を求める嘆願書への署名。4つ目は地域美化の立法化を求める嘆願書への署名。これらの小さな要請を事前に行ったことで、ひとつ目の要請後の看板設置承諾率は約76%、それ以外の要請後の看板設置率は約47%でした。

被験者は、小さな要請を承諾したことで「自分がいいと感じた要請は受け入れるべき」という一貫性を持ちたいと思う心理が働き、看板設置の承諾率が上がったのです。

こういった一貫性を持ちたいと思う心理のことを「一貫性欲求」といいます。