お金は資本主義社会の血液である。 ではその血液を流す原動力とは?
市場でお金を動かす原動力は、商品である。もっと具体的には、商品の使用価値がお金を流通させる原動力だと言うことができる。
目次
労働の量を測るには
商品に含まれる労働の量は、どのようにすれば測定できるだろうか?
それは簡単で、労働にかかった時間から求めれば良い。労働時間を週・日・時間の単位で測定することだ。
ということは、下手だったり怠ける労働者の生産品は、労働時間が長いから価値が高くなるのか?と疑問を持つ人もいるだろうが、そうではない。
社会全体で生産されたすべての商品に含まれる労働を、ひとつで、巨大な均質な塊だと思えば、そのなかのひとつの商品に含まれる労働の量(=商品の価値)は、その商品ひとつ分の量である。
だから商品が含む労働時間は、その社会の一般的な生産手段と平均的な効率でかかった労働の量である。
労働と使用価値と交換価値の関係
使用価値があっても、交換価値がない物もある。 それは、その有用性が人の労働力による産物ではない場合である。
空気や土、自然の牧草などがそうだ。
使用価値もあり、労働力の結果でもあるが、商品ではない物もある。
自分が使うために生産する物がそうだ。
つまり、商品を生み出すためには、自分ではなく他人のための使用価値、つまり社会的使用価値を、労働力によって作らなければならない。
他人のために生産しても、商品にならない場合がある。
中世の農奴は、自分の領主のために農作物を生産した。しかし、その農作物は彼らが他人(領主)のために生産した物だが、商品とは呼ばない。 それが商品になるためには、交換を通じて他人に移す必要がある。
使用価値がない物は、含まれる労働も併せてその価値を失う。 その労働は交換価値を生み出さないから、労働として認められない。
価値を生み出す有用労働
使用価値がない物は、それに含まれる労働にも価値がない。
その労働は交換価値を生み出さないから、労働として認められない。
労働の有用性は、労働が生産した商品の使用価値により決まる。
商品に使用価値を与える生産的な活動を、「有用労働」と呼ぶ。
使用価値には膨大な種類がある。 そして、それぞれを生み出す有用労働にも、同じく膨大な種類がある。
商品生産は分業で行う
商品の生産には分業が不可欠だが、分業に商品生産が不可欠というわけではない。
インディアンの社会にも社会的な分業があったが、商品は生産しなかった。というのも、資本主義社会の工場では労働がシステムごとに分業されているが、インディアンのように工場内で生産物を交換することはない。
また、社会で交換される商品は、質的に違う種類の労働によって、独立的に生産された物でなければならない。
全ての商品には有用労働ー具体的な目的を持って行われた生産的な行為ーが含まれている。
商品に含まれる有用労働が、他の商品に含まれる有用労働と質的に違うからこそ、商品としての有用価値を持つ。
生産者たちの有用労働の質的な違いが、社会の分業を生むのである。
商品の価値
商品は、鉄、服地、穀物など、それぞれに使い道がある。
だが、商品を商品たらしめるのは、二面性、つまり使用の対象であると同時に、価値を持っているからである。 商品の価値は、他の商品との相対的な関係で表現される。
例えば「20メートルのリンネルは1着の外套と同等」のような等価関係である。
どの商品も自分自身に対しては等価関係を結ぶことができないため、他の商品との等価関係で価値を表現しなければならない。
ということは、価値の背後には社会的関係が隠れていることを暗示している。
といっても、商品の価値は比較の結果ではない。比較によって、商品に内在する使用価値が可視化されただけのことだ。
あくまで他の商品に対する等価価値は商品の実体によるものであり、それはすなわち、人間の労働が実体化されたものだ。
物神崇拝
商品の価値は、他の商品との比較という、社会的関係を通じて見えるようになる。
だから商品を作り出した人間たちの社会的関係も、まるで物たちの関係のように見える。
例えるなら、宗教の世界では人間の頭脳の産物が実在の人物のように登場し、それらがお互いに関係を結んだり、人間と関わったりしている。
商品の世界では、人間の産物である商品がこのように振舞っている。
この現象を「物神崇拝」と呼ぶことにする。物神崇拝は労働の産物が、商品として生産されたとたんに付加されるものであり、商品の生産とは切っても切れない関係にある。
交換と貨幣
商品は、それを持つ者にとっては使用価値がない。所有者にとっての使用価値があるならば、最初から市場に出ていないはずだからだ。
商品はあくまで、それを持っていない人にとっての使用価値を持つ。 だから、すべての商品は交換されなければならない。
交換のとき、商品の価値を知るためには、ある基準となる商品と比較する必要がある。
特定の商品がその基準になるためには、社会的な過程が必要不可欠だ。
社会的な過程を通じて、その商品の特有の機能は排除されていき、それは貨幣になった。
貨幣の役割
価値は、他の商品の価値との比率として比較される。
そこで円滑な交換のために、交換手段として適切な商品が貨幣の役割を担うようになる。
やがて均質な量で価値を表すことができる、貴金属が貨幣の役割をするようになる。貴金属は自由に分割することもできるし、再結合させることもできる。
難しいのは、「お金も商品の一種」だということを理解することではなく、商品がなぜ、お金になるかである。
お金は、他の全ての商品と同じく、自分の価値を他の商品との相対的な価値でしか表現することができない。
お金の価値も、それを生産するために必要な労働時間で決まる。
黄金と銀は、土から採掘されるやいなや、人の労働を直接的に具体化する。