新大陸の銀に頼ったスペイン
16世紀に覇権を握ったのは、大航海時代を主導したスペインだった。
最盛期の王フェリペ2世は、1571年のレパント海戦でオスマン帝国を破り、地中海の制海権を奪取する。
1580年には王家が断絶したポルトガルを併合。
広大な植民地を手中にし、「太陽の沈まぬ国」となった。
アメリカ大陸からの銀を背景に、スペインは繁栄を極めた。
しかし、16世紀後半、新教と旧教の宗派対立が強まるなかで始まったオランダ独立戦争での戦費増大と新大陸での銀産出の減少が原因で、スペインは没落に向かった。


宗教改革による対立が背景に
中世のイギリスは、フランスとの百年戦争、内乱であるバラ戦争と戦乱が続き、疲弊した封建貴族が没落。
代わって国王の権力が強まる。
1534年ヘンリ8世は自らの離婚問題でローマ教皇と対立し、イギリス国教会をつくってカトリックと断絶した。
イギリスでの宗教改革により敬虔なカトリック王国スペインとの関係は悪化した。
女王エリザベス1世のもと、毛織物工業などで経済が発展したイギリスは、プロテスタントの立場からオランダ独立を支援。
1588年にはアルマダ海戦でスペインの無敵艦隊を破り、覇権交代の契機となった。
日本から旅立った慶長遣欧使節
1613年、仙台藩主の伊達政宗は家臣の支倉常長らをヨーロッパに派遣した。
その目的はスペイン領だったメキシコとの通商を求めることにあった。
使節はメキシコを経てスペイン・ローマに至り、スペイン王フェリペ3世やローマ教皇パウロ5世に謁見する。
しかし、江戸幕府の禁教令の情報がヨーロッパに達していたこともあり、目的は果たせなかった。
交渉のために洗礼まで受けた常長だったが、帰国時には禁教令が敷かれており、不遇の晩年を過ごした。