
平和な江戸時代を支えたもの
1603年、徳川家康が征夷大将軍に就任し、江戸に幕府を開きます。それから1867年の大政奉還まで、徳川幕府は264年存続しました。
初期は豊臣家との戦いである「大坂の陣」や、キリスト教徒が蜂起した「島原の乱」などがありましたが、戦乱といえばその程度で、あとは泰平続きでした。
この泰平の時代を近年では、「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」という表現を借りて、「パックス・トクガワーナ(徳川の平和)」と表現することがあります。
さて、この「パックス・トクガワーナ(徳川の平和)」を実現させた徳川幕府ですが、軍事政権であったことは一目瞭然です。
軍事政権が政権を維持するためには、「武力」を示し続ける以外にありません。
しかし、無用な戦争はできません。そこで幕府が考えたのが「武威」でした。
武力の威光を周囲にアピールし続けることによって、「将軍はさすが!」と思わせ、国内体制を維持したのです。
このとき武威の発揚に大きな役割を果たしたのが行列でした。とくに「異人行列」は体制維持のシステムとして有効に作用しました。
異人行列とは文字通り、日本人以外の人々による行列であり、朝鮮通信使行列が代表格です。
朝鮮通信使とは将軍の代替わりごとに派遣された朝鮮国の友好使節です。
1607年〜1811年まで計12回派遣されました。
経費は全額日本が負担しました。 一行は総勢平均440名。このため巨額の資金が必要でした。
一行は海路と河川を使って京都に至ったあと行列を組んで練り歩きつつ江戸へと向かっていきました。
もの珍しさもあって行列が通る沿道には多くの見物客がつめかけました。
オランダ商館長の江戸参府
異人行列は巨額の費用を必要としましたが、朝鮮国からの使者を迎えることは、幕府にとって重要なことでした。
「徳川将軍の威光は海外にまで広まっている」と国内に喧伝できるからです。
人々が見守るなか将軍のいる江戸へと向かう異国人の行列は徳川将軍家と幕府の威光を被支配者層に実感させるのに抜群の演出です。
異人行列にはこのほかに、琉球王国使節団、オランダ商館一行がありました。
このうちオランダ商館一行は長崎出島にあるオランダ商館長(甲比丹)の江戸参府です。
3代将軍・家光の時代から毎年の春に行われたため、春の年中行事と化しており行列見物は庶民の春の風物詩となっていました。
このオランダ商館長江戸参府について、江戸に出てきたばかりの若者松尾芭蕉が、「甲比丹も つくばはせけり 君が春」という一句を詠んでいます。
意味は「この春も、オランダ商館長一行がやってきて、将軍の前にひれ伏した。じつにめでたい春である」となります。
異人行列はまさに、「パックス・トクガワーナ」の維持にひと役買っていたのです。