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7世紀の日本に影響を与えたもの
7世紀後半から8世紀初頭にかけて、日本で栄えた文化を「飛鳥・白鳳文化」と呼んでいます。
飛鳥文化は推古天皇の御代を中心に、白鳳文化は天智・天武・持統・文武天皇の御代に花開きました。
この2つの文化に大陸文化の影響が見て取れることは、多くの専門家が指摘するところで、遠いギリシア世界の影響まであるのです。
古代日本とユーラシア大陸をつなげたのは、不世出の英雄アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)でした。

アレクサンドロス3世が伝えたユーラシア大陸の文化
紀元前4世紀後半、バルカン半島を統べるアレクサンドロス3世が東方への遠征を行い、インダス川流域から西の世界を支配下に収めます。
アレクサンドロス3世は直後に亡くなり、帝国は崩壊してしまいますが、この遠征によってギリシア文化は、ギリシア人の東方移住にあわせて、東方世界へと拡散していきます。
この文化はシルクロードを通ってゆっくりと東漸し、中国大陸を経て日本にも到達しました。
これにより、7世紀前半から8世紀初頭にかけて花開いた飛鳥・白鳳の文化に大陸文化の影響が現れるのです。
まず、エンタシスがあります。
これはギリシア特有の柱の形式であり、柱の中央部にふくらみを持たせたものです。
ギリシアの首都アテネに建つパルテノン神殿のエンタシスは、その代表的なものです。
日本では法隆寺の金堂・歩廊・中門、唐招提寺の金堂の柱で、エンタシスを確認することができます。

アテネの世界遺産パルテノン神殿

仏像の微笑に見られる西方の文化
アルカイックスマイルも同様です。


古代ギリシアのアルカイク美術の彫刻に見られる人物の表情であり、「古拙の微笑」と言われています。
結んだ唇の両端、つまり、口角がやや上に引き上げられ、微笑んでいるように見えるものです。
飛鳥時代の彫刻では、飛鳥寺の釈迦如来像、法隆寺金堂の釈迦三尊像、法隆寺夢殿の救世観音像などで、アルカイックスマイルを確認することができます。
ペルシア文化やインド文化も流入する
ギリシア文化だけではありません。
ササン朝ペルシアや、インド北部の文化も、古代日本に流入しました。
たとえば、「獅子狩文様」があります。 これは騎馬の人物が振り向きざま、獅子を弓矢で射る図柄です。
この射かたはパルティアン・ショットといい、ユーラシア大陸中央部にいた遊牧騎馬民族特有のものです。

法隆寺金堂壁画は、中国甘粛省の敦煌石窟壁画や、インドのアジャンター石窟群の壁画の様式を継承した傑作として有名です。
なお、法隆寺金堂壁画のオリジナルは1949年の火災で焼失してしまいましたが、正確な模写と複写によって復元作業がなされ、現在では現存時と同じものを、法隆寺金堂内部で見ることができます。
