モーセから学ぶ

旧約聖書には、砂漠でのエピソードがよく出てきます。

まさにその「砂漠」という場所で不安が姿を現し、砂漠から脱出するためには、不安に打ち勝たなければならない状況になります。

旧約聖書によれば、モーセは王宮を追われ、エジプトから追放されたあと、何年間も砂漠の中をさまよいます。

そしてミデアン人という遊牧民とともに、羊飼いとして暮らし始めます。

エジプトを支配する王のそばで過ごしていたころと比べると、あまりに卑しい身分に身をやつしていた。

モーセが自分の不安に直面するのは、そうして砂漠で過ごしていたときでした。

聖書にはこう書かれています。「モーセは神を見ることを恐れて顔を隠した」

そして、神はモーセに言われた。「さあ立ちなさい、あなたをエジプト王のところへつかわします。イスラエルの民をエジプトから導き出しなさい」。 ここで再びモーセの不安が浮かび上がってきます。

モーセは神に言った。「わたしはいったい何者なのでしょう。わたしがエジプト王のところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのですか」

そのあともずっと不安を口にしています。「しかし、彼らはわたしを信じず、わたしの声に聞き従わずに、神はあなたの前に現れなかった、と言うでしょう」

さらにこうも言う。「ああ主よ、わたしはこれまでも、またこうして神の言葉をいただいたあとも、雄弁な人間ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」

これは砂漠での出来事です。モーセの人生で一番苦しい時期であったことはまちがいありません。

この後、彼は不安に打ち勝って、ユダヤの民の偉大なリーダーになることができました。

自分の中にある不安に打ち勝つことで、ようやく自分の運命の力を信じられるようになったのです。

この話に象徴されているように、不安に打ち勝つにあたっては二重の苦しみを味わうことになります。

落ち込み、傷つきやすい状態のときにもっとも困難な問題に直面するのです。

根拠のない不安にもっとも影響されやすい時期に、その不安に身をまかせてしまいたいという誘惑を退けなければなりません。

不安を乗り越えて天職をきわめたいのなら、まさにこの人生の「砂漠」のときこそ、不安をねじ伏せなければなりません。

砂漠にいるモーセの話でもっとも美しい部分は、彼がいかにして不安に打ち勝っていったかというくだりです。

「出エジプト記」では神とモーセの対話でそれが描かれています。

「あなたが手にしているものは何か」。モーセは答えた「杖です」。

神は言われた「それを地に投げなさい」。彼が杖を地に投げると、ヘビになったので、モーセは身を避けた。

主はモーセに言われた「手を伸ばして、その尾を取りなさい」。

そこで彼が手を伸ばしてそれを取ると、手の中で杖となった。

神は言われた「これは先祖たちの神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、あなたのもとに現れたことを人々に信じさせるためである」

やがてモーセが手にしていた杖は驚くべき奇跡を起こし、彼はその力によってこの世で最強の国を勝ち取りました。

それは彼が毎日持ち歩いていた粗末な羊飼い用の杖にすぎませんでした。

この杖と同じものを、実はあなたも持っているのです。

自分が手にしている素晴らしい道具を発見するためには、不安を克服しなければなりません。

成功の源になるのは、あなた自身が毎日持ち歩いている「才能」という杖です。

人生の道が砂漠に突入し、不安に直面して動けなくなったときには、その一見何の変哲もない杖を使って離れ業をやってのける方法を学ぶことができます。

⭐️ 不安を克服しなければ、あなたが手にしている素晴らしい道具には気づけない。