自分の才能以外のことにこだわったために、キャリアも私財もふいにしてしまった人は少なくありません。
なかでも悲惨な例の一つが、アメリカ独立戦争時、大陸会議代表で連合政府の財務総監だったロバート・モリスです。
彼は海運業で多大な成功をおさめた商人でした。ウィリング&モリスという会社を営み、1760年代から1780年代にかけて、フィラデルフィアとカリブ諸島との貿易では最大の取扱高を誇っていました。
財務力に優れ、鋭敏な商才に恵まれていた彼は、15歳ですでに米英両側の小麦粉の買い占めに成功し、弱冠20歳にしてトマス・ウィリングとの共同出資会社を設立しました。
モリスの名は、混乱の続くアメリカ植民地にまたたくまに知れ渡り、商才に優れ、人格的にも信頼できる人物として有名になりました。
まだ銀行も株相場もなく、不公平な商取引を取り締まる規制法もほとんどない時代に、絶対信頼できる人物として評判になった彼は、当時植民地の各州の連携を図っていた大陸会議において、満場一致で初代代表に選出されました。
独立戦争の勝利は、モリスが財務総監として果たした役割が大きい、と多くの学者が論じています。当時は、各州内で課税に反対する気運が強く、(これに先だって、英国による「代表なき課税」をめぐって紛争が起きていた)、モリスは直接課税なしで軍事資金を調達する方法を考え出しました。
彼が代表に任命される前は、経済的にかなりひっ迫した状況に陥っていて、ワシントン将軍は(本当に思っていること以外は言わない人だった)、兵士たちに給与と食料を与えるよう手を打たなければ軍隊を解散する、と宣言していたほどでした。
モリスは就任後、3日と経たないうちに財政プランを作り上げました。 のちにこのプランが発展し、最初の国立銀行と公債システムが誕生することになります。
彼は自分に寄せられる信望と評判を利用してフランスから融資を受け、裕福な入植者たちに出資させて、軍へ支給する資金にあてました。
戦争終結後、モリスはまた商人としてビジネスの世界に復帰しました。戦時中の困窮がまだ尾を引いている世情にもかかわらず、彼は躍進を続けました。
しかし、1790年代になると未経験の領域にまでビジネスの手を広げるようになりますー土地投機です。
当時多くの人が考えたように、不動産は将来への投資になると確信したモリスは、バージニア州とニューヨーク州に広大な土地を購入し始めました。
「不動産で儲ける才覚など持ち合わせていないのだからやめたほうがいい」というジョージ・ワシントンらの説得にも耳を傾けようとはせず、計800万エーカーという国内最大の土地所有者になりました。
貿易業が現金商売で三か月後には収益を手にできたのに対し、不動産業は利益が上がるまでもっと長い期間がかかるという点をモリスは見逃していました。
それに加え、不動産相場では、ほんのわずかな市場の変動(新境地を求めて建立されたばかりの国では、評価額が始終大きく変動した)によって、軽率な土地投機で大失敗する恐れがあります。
そして、まさにそうした相場の下落が原因で、モリスは財産も土地も失って債務者刑務所(当時はまだ破産法などなかった)に入れられた。 その後まもなく、300万ドルという当時にしては、巨額の負債を抱えたままこの世を去った。
モリスに関する詳細な伝記が20世紀初頭にいくつか書かれている。彼は財務家として非常に優れた才能を持っていた。ビジネスを生み出して投資するという才覚は、当時としては斬新だった。
しかしどの伝記でも、不動産業における彼の失敗はただの不運によるものではないと述べている。
他人が土地投機で大儲けしているのを見た商才あるビジネスパーソンが、自分の力量も考えずに手を出した結果なのです。
自分の長所から目を逸らし、他人の力を前にして自分の才能を見失い、違う自分になろうとした。その結果、すべてを失うことになったのです。
モリスの悲劇が示しているように、「人の才能を妬む」ことはまさに自分の身の破滅を招く行為そのものです。
目の前にあることを解決できないという現実問題があるのかもしれないが、この姿勢を続けているといつか必ず失敗することになります。
どうしても状況に対処することができないと日頃から感じているのなら、その状況のほうを変えるべきです。 あなた自身を曲げてはいけない。
成功の絶対条件は、才能を活かす状況に自分を置くことです。
上手になりたいとあこがれていることではなく、本当に自分が得意とすることに全力を注ぐべきです。
あなたの長所から目を逸らさない