目次
解説
正しく見るための力を養う方法の一つは、自分の行為を徹底的に観察して意識に上げることです。
そのもっとも初歩的な方法が「歩行禅」です。歩行禅とは、禅宗の瞑想法で、歩きながら行う禅のことです。
私たちは日ごろ多くの動作、思考を無意識に行っています。それを意識に上げるだけでも、抽象度が上がり、自分や世界を正しく見ることができるようになります。
ワーク
①右足のかかとが地面につくときに、一回息を吸い込む
②右足の爪先が地面につくときに、もう一回息を吸い込む
③左足のかかとが地面につくときに、息を吐く
④左足の爪先が地面につくときに、呼吸を止める
歩行禅は可能な限りゆっくりと行います。ゆっくりと行い、動きと呼吸のタイミングを覚えてください。
また、一歩足を踏み出すごとに「今、爪先が地面についた」「かかとがついた」「右足に体重が乗った」…と一つ一つの体感を意識しながら歩くことを心がけてください。
この歩行禅は、自分の体に対して、自分の意識をもっていく訓練になります。
慣れてきたら、普段歩行をしているときも、自分の動きに意識をもっていくようにしてください。もし呼吸が速くなって苦しいようなら、呼吸は意識しなくても結構です。
さらに、歩行禅ができるようになったら、歩いているときだけでなく、朝起きてから夜寝るまで、日ごろ無意識に何気なく行っている行動一つ一つを意識に上げてください。
意識に上げることが、すなわち「見る」ことになります。
自分の行動や身の回りの事象を一つ一つ意識に上げることを毎日徹底するだけでも、それまで見えてなかった自分や世界の姿が見えてくるようになり、「自分ってこんな一面もあったんだ」「世界にはこんな一面もあったんだ」と自分や世界の見え方が変わってくるはずです。

時間と空間を超えて見よう 「黙って食え瞑想」
解説
「黙って食え瞑想」も、正しく見るための瞑想法です。
方法は、その名のごとく、目の前に食事があったら黙って食べる。 それだけです。
ただし、食べながら、目の前の食事を徹底的に見なければなりません。
ここで言う「見る」とは、時間と空間を超えた存在として見るということです。
時間と空間を超えた存在として見ることで、「縁起」を正しく見ることができます。
縁起とは仏教の重要な思想の一つで、「宇宙のすべての存在・出来事はお互いに関わり合って存在していて、一つも欠けることはできない」という考え方です。
縁起の思想に基づけば、この世界のすべての事象は、つねにほかの事象と双方向的に関わり合って存在しているのであって、単独で存在しうるものはない、ということになります。
どんなものも、ほかのものとの関係性のなかで存在しているのです。
あなたという一人の人間も、単独で存在しているわけではありません。
父がいて母がいて、父母それぞれにも父がいて母がいて、さらに何世代にもわたって先祖の人たちがいる。
また、自分の通った学校があり、職場があり、好きな食べ物、好きな音楽、これまで読んだ本や見た映画などがあり、時間と空間を超えたあらゆるものとの関係性があり、その中心となる点として自分があるということなのです。
同じことが、この世界の出来事・事象一つ一つにいえます。
すべての出来事・事象は、ほかの出来事・事象と網の目のような因果関係を形成し、その結果としてこの世界が生まれているのです。
以上が縁起の世界であり、情報空間に網の目のように広がる無数の因果関係を正しく見るための方法が、この「黙って食え瞑想」です。
ワーク
食卓のご飯を見て、「ご飯を炊くときに、どんな道具で炊いたのかな?」
「どこで栽培されたのかな?」
「そもそも米の栽培はいつ、どこで始まって、日本にはいつごろ伝わってきたんだろう?」などと考える。
豚肉があったら、「どこで育てられた豚なのだろう?」 「この豚はどんな豚だったのだろう?」 「育てた人はどんな人だろう?どんな気持ちで育てたんだろう?」 「豚は殺されるとき、どんな気持ちだったんだろう?」 「豚の命はどこに行ったのだろう?」などと考える。
今自分の目の前にご飯や豚肉が存在しているのは、それを育てた人、運んだ人、売った人などがいたからです。
さらに、育てた人はいろいろな機械や肥料を使ったはずで、その機械や肥料を作った人・売った人がいます。
運んだ人は米を袋に詰めて、袋を車に積み、車で道路を走って運んでくれたはずで、その袋や車や道路を作った人・売った人もいます。
そして、それぞれの人には、あなたと同じように生活があり、家族がいて、その人の人生を生きているのです。
このようにイメージをどんどん広げていくと、今自分の目の前にご飯や豚肉が存在しているのは、無数の因果の結果であることがわかります。
もしその因果の一つでもなくなってしまったら、目の前のご飯や豚肉は存在しなくなるのです。
以上のように目の前のものが存在している因果関係、それも時間と空間を超えた因果関係を見ることが「黙って食え瞑想」です。
「黙って食え瞑想」は、身のまわりすべての物事に対して行うことができます。
たとえば職場のデスクにはパソコンや書類、携帯電話などが置いてあります。
それら一つ一つを見ながら、「なぜこれはここにあるのか」「これと自分にはどんな関係があるのか」を考えるようにしてください。
自分とはまったく関係がなさそうなものでも、「黙って食え瞑想」をやれば、因果関係が広がってゆき、見えていなかった関係性が見えてきます。
この世界を生み出している網の目のような関係性が見えてくれば、あなたはきっと次のことに気づくはずです。
- この世界には単独で存在しうるものはなく、すべての存在はほかのものとの因果関係(縁起)のなかに存在していること
- 目の前の一つの存在は、宇宙のすべてと何らかの関係性をもっていること
- 自分が今ここに存在しているのは、けっして偶然ではなく、宇宙のすべての事象との因果関係の結果であること
以上のような世界観を、天台宗の開祖・智顗は「一念三千」と呼びました。一つの存在を見ることは宇宙全体を見ることです。
一念三千の世界を体感するのが「黙って食え瞑想」の目的です。
