資本主義は恐慌から逃れられない

目次

競争と信用制度

資本を集中させるにあたり、もっとも強力な2つのレバーは競争と信用制度です。

信用制度は最初は資本蓄積の控えめなアシスタントとしてこっそりと入ってきます。

そして社会に分散している貨幣を目に見えない糸で資本家の手にたぐり寄せてくれる。

しかし、後に競争で恐ろしい武器に変身し、その結果あらゆる種類の資本の集中のための、巨大な社会的メカニズムになります。

「信用制度」とは「金融」のことです。

会社の合併や企業規模を大きくするための投資には資金が必要です。

金融はお金が必要な人にお金を貸し、そこから利子を得るビジネスです。そして、それはお金を借りる人が後で元金と利子を返すと「信用」することを前提とします。 だから金融システムを「信用制度」と呼んでいます。

そこで、競争で生き残るためにも、お金を借りて資本の規模を増大することが必要です。

資本の規模を増やすには、剰余価値をコツコツ蓄積するのも一つの手ですが、もしライバル会社が銀行から借り入れた大金を武器に攻撃的な投資をしてきたら一瞬で潰されてしまいます。

企業が借りた資金は負債として財務諸表に現れます。財務諸表は全体の資産を資本と負債の2つに分類する。

簡単に言えば、資本は自分のお金で負債は他人のお金です。自分と他人のお金を合計したものが全体の資産となります。

他人のお金とは、普通は、銀行などの金融機関からの借入金です。

財務用語で「資本」というと、単純に自分のお金を意味するが、マルクスの「資本論」の中で資本と呼ぶものは財務諸表では資産に当たります。

強力で巨大な資本を作るためには、それが自分のお金だろうが、他人から借りたお金だろうが構わないからです。

他人のお金を借りて自分の資本を2倍にすると得られる利益も2倍になる。 このようなことをレバレッジといいます。

そのレバレッジは資本の貪欲さによって後に恐慌の原因にもなります。

生産部門によって生じる乖離

社会の総生産は2つの部門で構成されます。

I 生産手段を生産する部門 Ⅱ 消費材を生産する部門 そして、両方とも可変資本と不変資本とで構成されています。

I部門(生産手段部門)がお金を支払って、Ⅱ部門(消費材部門)から商品を購入したとしましょう。

この商品の価格には、Ⅱ部門が商品を生産するときの機械の摩耗(減価償却)の分が含まれています。

だから、II部門は時間が経った後に機械を交換するときのために、その分のお金を使わず積み立てます。

例えばI部門が2000を購入して、その200が摩耗の分ならば、II部門はその200を使わず積み立てておきます。 その分は機械を交替するまで、しばらくI部門に戻らない。従ってI部門にはII部門に比べて200の分が過剰生産されたことになります。

生産物の種類や性質によって、その生産と消費の周期は違うため、その乖離から不均衡が生じます。

様々な原因によってその不均衡の期間が長くなると、恐慌 (過剰生産によって価格の暴落、失業の増加、破産、銀行の破綻などが起こる現象)が発生する可能性が出てきます。

生活必需品と贅沢品

Ⅱ部門 (消費材の生産部門) の労働者はⅡ部門の資本家から貰った賃金で自身の生産物の一部を買うことがはっきりしています。

つまりⅡ部門の労働者は労働力に投下した資本を再び貨幣の形態に変化させて戻してくれます。

Ⅱ部門の生産物は「生活必需品」と「贅沢品」の2つに分類することができます。

生活必需品は資本家も労働者も消費するが、贅沢品は資本家階級の消費に限るため、労働者から搾取した剰余価値からの支払いと交換されるだけです。

ところが、恐慌のときには贅沢品の消費が減少します。つまりそれは、贅沢品生産の可変資本の貨幣資本への転化を停滞させます。

そこで贅沢品を生産する労働者は解雇されます。その結果、彼らが消費していた生活必需品の販売も減少します。

景気が良くないときは、高価な商品と安価な商品の消費傾向が二極化する傾向があるという。

景気が悪いときにも、お金持ちは以前のように高価な商品を買うことができるが平均的な価格や廉価商品を購入していた中産階級は、どんどん安価の商品に流れるようになります。

恐慌が起こると、お金持ちも消費を減らします。つまり贅沢品の販売も減少します。

景況がこうなると高級品を生産していた資本家は労働力にかかる費用を減らそうとします。

被雇用者の賃金が減少したり、解雇される結果になるのです。こうして被雇用者階級が使うことができるお金の量が減ると社会全般の消費も減ります

ひとつひとつの事件が連鎖反応を起こすことによって悪循環が発生し、経済は泥沼へと沈んでいきます。

恐慌

恐慌が支払能力のある消費や消費者の不足で起こるというのは、同語反復に過ぎません。

資本主義においては極端に貧乏な人や泥棒の消費を除けば、すべてが「支払能力のある消費」だからです。

商品が売れないのは、商品に対する支払能力のある購入者を探し出すことができないことを意味するだけです。

もし「労働者階級の報酬は生産に見合っていないから、もっと多い賃金を払えば問題が解決する」ともっともらしいことを言う人がいるなら、こう指摘すべきです。

恐慌は、むしろ賃金が上がり労働者階級が生産物の中の多くを賃金として貰う、そのときに準備されていると。

健全で単純な常識を支持する人々の観点からは、そんな時期は逆に恐慌がなくなるのが当然だと思うでしょう。

資本主義的生産は善意や悪意とは関係のない、ある種の状態で構成されており、その状態が労働者階級の繁栄を一時的に限って許しそれが恐慌の兆候となるように見えます。

好景気のときは、金融によってすべての資産が実体より過大評価され、労働者階級も比較的豊かになります。

こうして繁栄を謳歌する労働者階級も浪費する生活を始めるが、それは一時的な現象です。その終末はいつも恐慌です。

繁栄がいつも恐慌で終わり、また繁栄がやってくる。これが周期的に繰り返されるのが資本主義の特徴なのです。

資本主義的生産の動機は蓄積

単純再生産を仮定すると、Ⅰ部門 (生産手段の生産) とⅡ部門 (消費材の生産) からのすべての剰余価値は、一切資本に付け加えられずに資本家の収入として消費されます。

しかし、実際には資本家の収入は剰余価値の一部であり残りのすべては資本に付け加えられます。

実際の蓄積はこれを前提条件として行われます。

蓄積が消費の費用を通じて行われるというのは、資本主義的生産の性質と矛盾する虚像です。

なぜならそれは、資本主義的生産の目的と動機が剰余価値の獲得とそれを資本に変えること(すなわち蓄積)ではなく消費にあると定義しているからです。

資本主義システムでは経済成長のエネルギーは消費にあるのではなく、剰余価値の獲得と資本の増殖にあります。

需要には限界があるのに、資本は自己増殖のために絶えず生産を続けるから、その結果は過剰生産になる。

生産力と消費力の違いーその乖離から不況や恐慌が発生します。 この乖離が解消されない以上、いくら貨幣を多く発行しても、いくら利子を下げても需要や投資が増加することができません。

資本を投資してもそれが増殖することができなければ投資が活発になることもないし雇用が活発になることもできません。

各国の政府がいくら努力しても資本主義の構造的な欠陥により、不況の根本的な原因は解消されません。

恐慌は矛盾に対する回答

恐慌は資本主義の矛盾に対する瞬間的で強制的な解決法です。 恐慌は歪曲された均衡を一時的に元通りに回復する乱暴な爆発なのです。

その矛盾は資本主義的生産が、それが持つ価値や剰余価値、生産が行われる社会的状況に構わず生産力を増大しようとする傾向によって発生します。

資本の目的は、その価値を保持しながらできるだけ最大限の自己拡大をすることです。

資本は既存の価値を利用して最大限自分を増大させようとするが、その目的を成就するために使う方法は利潤率を低下させたり、既存の資本の価値を下落させたり、既存の生産システムを捨てて新しいシステムを導入することなどです。

資本の蓄積速度は利潤率の低下によって鈍くなります。

すると、資本は絶えずこのような障壁を克服しようとするが、その方法はもっと多くの障壁を作ることになります。

資本は自己増殖の欲望により、レバレッジを使おうとします。 レバレッジとは、金融機関からお金を借りて自己資金より多いお金で投資する様子を、レバー(てこ)に見立てた用語です。

例えば、1000万円を投資して500万円を得たら1億円を投資すれば5000万円を得られる計算になります。

レバレッジが多く使われると現実の資産価格が歪曲されていきます。 例えば皆がレバレッジを使って不動産投資をしていると不動産の価格はその実際の価格よりずっと高くなります。

資本主義システムではいつもレバレッジが使われているため資本主義の好況はいつもバブルだと言えます。

最近はコンピュータプログラムによる売買で先物などの派生商品に投資する技法が投資ファンドで多く使われているため、それが農産物の価格を上げています。

ファンドの投資金が農産物先物に多く投資されると、その需要が実際より多く見え価格が歪曲されています。

先物は証拠金さえあればその数倍の先物の取引が可能なので、それ自体がレバレッジ効果を持ちます。 このように金融はレバレッジ効果で資本を誘惑するのです。

問題は、資産の実際の価格が金融というレバレッジによって過大評価されると、価格の小さな下落でも実物市場で借りたお金を返すことができない人が生じることです。

こうなると、連鎖反応によって過大評価されていた資産の価格が暴落してしまいます。

こうして大勢がお金を失い、それが社会全体に広がることで金融機関も連鎖的に破産してしまい恐慌がやってきます。

資本の障壁は資本それ自体

資本主義的生産の本当の障壁は資本それ自体です。

資本とその自己増殖は生産の始まりと終わりであり動機にして目的です。

生産は資本のためのことで、その逆は成立しません。

昔は必要な物を作るために生産活動をしたが、資本主義社会では資本を増大させるために生産活動をします。

前者と後者には根本的な差があります。

必要な物を作るための生産では、金融機関からお金を借りて生産規模を拡大させたり無理をして生産性を高める必要はありません。

他人から搾取する必要もありません。森の中で平和に暮らすドワーフのように適当な食べ物を生産しながら皆で仲良く暮らしていれば良いです。

だが、資本の増殖を目的とすれば、「必要な量を適当に生産する」などというのんきな話は通じません。

できるだけ多い商品を短い時間で生産し、利潤を最大化しなければなりません。

そして、金融からできるだけ多くの借金をしてレバレッジを活用し増殖の速度を加速させなければなりません。

だが生産性の発達は必然的に利潤率を低下させてしまうため、資本を増大させるための努力が逆に自分の成長を鈍らせる要因になってしまいます。

そしてレバレッジの活用も、資産の価値にバブルを起こし、それが一瞬でも崩れると恐慌が訪れます。

だから、資本が成長するときにもっとも恐ろしい障害物は自己増殖を目的とする資本自体だと言うことができるのです。

資本主義的生産の限界

資本主義的生産には限界があります。

第一に、労働生産性の発展は利潤率の低下を伴い、それが周期的に恐慌を通じて解除されなけれはならないことです。

第二に、生産の拡大と縮小は無給の労働で得る剰余価値と使用資本の比率によることで、社会的な需要と供給の関係によることではありません。

資本は実際の需要とは関係なく自己増殖のために生産しているから、それも恐慌の原因になります。

17世紀、当時のオランダは隆盛を極めておりヨーロッパ最大の経済大国だった。

そんな折、オランダにチューリップという新しい植物が紹介されました。

当時は珍しい植物だったから当然高価だったが、その後、狂乱が始まりました。

チューリップの球根の価格が毎日暴騰を続け、1637年2月にはチューリップの球根ひとつが約1500万円の価格で取引されたのです。

そしてその価格は一瞬で暴落しました。チューリップに投資した商人たちは破産し、貴族たちは領地を失ってしまいました。

この事件のせいでオランダの経済は大きな被害を受けました。

今では誰だってチューリップの価値を知っているし、チューリップについて冷静に考えることができます。

しかし、当時の人々にとっては毎日暴騰を続ける植物が、絶好の投資の手段になったことでしょう。

チューリップに投資してお金持ちになった人もたくさんいたから、皆がレバレッジを使って球根の可能性に賭けたのです。

実体経済の世界でAという商品の価格が10%上がると、銀行からお金を借りて2倍の資金で投資すれば、20%の利益を得ることができます。

価格上昇を見た多くの人がこのように投資しようとするから、需要が高まったAの価格は暴騰します。

しかし、非常識的に暴騰した価格はいつか暴落します。すると、借金をしてAに投資していた人々は破産し、お金を貸した銀行はそれを回収できません

これは金融が存在する以上、必ず周期的に発生する現象であり、恐慌が周期的に起こる理由でもあります。

金融

信用制度は国立銀行や、それをとりまく金貸し業者と高利貸し業者を中心とする、巨大な規模で集中された制度です。

それは、この寄生階級に産業資本家を周期的に破滅させる力を与えるだけではなく、もっとも危険な方法で現実の精査に干渉させることになります。

しかし、生産とはまったく関係がありません。

恐慌の中心には金融があります。

恐慌の原因が利潤率の低下、信じられないようなバブル、そして需要と供給に関係がない価格の歪曲などにあることはすでに述べました。

金融は資本の持ち主にレバレッジを提供して、そんな現象をさらに極端な方向へ導きます。

価格は実体とかけ離れていき、バブルは膨らんでいきます。

現代にはたくさんの投資ファンドがあり、それが市場を荒らす主体になっています。

投資ファンドは、過去のように株式や債券への投資に限らず、穀物関連の資産などの実物にも直接投資をしています。

数学者ジェームズ・シモンズが運営する投資ファンド「ルネサンス・テクノロジー」では、人工衛星まで打ち上げて穀物の作況を監視しています。どれだけの資金が穀物関連の投資に投下されているか、うかがい知れる事例です。

だが投資ファンドは穀物自体には関心がありません。

投資ファンドはひたすら利ざやを得るために穀物に投資しています。

そしてそれは実物の価格を歪曲したり、市場を乱したりします。

これは社会の実際の富を生み出す活動ではないし、合法的なゲームを通じて他人の富を自分のポケットに移す行為に過ぎまいのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です