技術の発達が人を幸せにしない理由

目次

生産性の向上と価値の下落

イギリスで機械が導入されると工場では布で衣類を作る時間が半分になりました。

社会的に必要な労働時間が半分になったのは、衣類の価値が半減したことを意味します。

一般的に生産性が高くなると価値は下がり、生産性が低くなると価値は高くなります。

テクノロジーが進歩して社会全体の生産性が向上すると価格は下がります。一般的に必要な労働の量が少なくなるからです。

商品の価値は「その商品の質がどれくらい良いか」ではなく、「それを生産するためにかかった人間の努力」により決まります。

絶対的剰余価値と相対的剰余価値

剰余価値を増やしたければ、労働時間を延ばして剰余労働を増加させれば良い。

必要労働は決まっているから可変的な剰余労働をどんどん増やします。

こうして増やした剰余価値を「絶対的剰余価値」と呼びます。

では今度は、1日の労働時間が決まっているとしましょう。例えば、労働時間が1日に12時間だとしましょう。どうすれば剰余価値を増やせるのか?

この場合、剰余労働を増やすためには必要労働を減らせば良いです。

必要労働を減らすことで増加した剰余価値を「相対的剰余価値」と呼びます。

資本家は剰余価値を増大させるために労働者をできるだけ多く働かせようとします。

1日は24時間で、サラリーマンも睡眠をとり、食事をしなければ働くことができません。体力にも限界があるから休息も必要です。 ただただ働かせて「絶対的剰余価値」を増やすには限界があります。

「では剰余労働を増やす代わりに、必要労働を減らしてはどうか」と資本家は考えます。

資本家は新しいテクノロジーを導入して生産性を高めます。

社会のテクノロジーが発達すれば、生活に必要な商品の価値も下がり、労働者たちの生活を維持するために必要な費用も減少します。

労働力の回復のために必要な費用が減れば労働力の価値も下がっていきます。

従って必要労働は減少し、相対的に剰余労働の比率が増大します。 これが「相対的剰余価値」の増加です。

テクノロジーによる生産性の向上は、労働者を豊かにしてくれるどころか、労働力の価値を低下させました。

テクノロジーが生み出す富は剰余価値という形で資本家のものになります。

労働者も新しいテクノロジーを享受することはできますが、それができるのはテクノロジーによる大量生産で価格が下がった結果で彼らの富が増加したからではありません。

資本家と機械

イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルは著書「経済学原理」でこう言いました。

「今まで発明された機械が人間の苦労を少しでも減らしてくれたか? 疑問である」

しかし、それこそ資本が機械を利用する目的です。生産性を高めることで労働者が自分自身のために働く時間(必要労働)を減らし剰余労働を増やしてくれるからです。

道具と機械の違いを区別する意味はありません。機械は複雑な道具で、道具は簡単な機械です。

機械は労働の生産性を非常に高めてくれます。道具を使って特定の仕事をする部分労働者は機械に取り替えることができます。

労働者は機械の付属品になり、より賃金の安い未熟な者が雇用されるようになります。

こうして機械は労働の分業を再定義します。

テクノロジーの発達は、すべての商品の価格を下落させます。 携帯電話も黎明期は煉瓦のように大きく、高値だったが今では小学生でも持っています。

テクノロジーの発達は、同じ使用価値を安値で供給してくれます。これは、一般的な人が生活を維持するために必要な費用が低くなることを意味します。

必要労働の比重は低下し剰余労働の比重は増加します。

資本家がテクノロジーを愛する理由は、こうして剰余価値を増やすことができるからです。

こうして労働者は一部の特権階級のものだった文化を手に入れた代わりに、ますますたくさんの労働時間を彼らのためにサービスするようになりました。

労働力と剰余価値

労働力の価値と剰余価値の相対的な量を決める3つの要素は「勤労時間」「労働の強度」「労働の生産性」です。

労働の強度は、同じ時間にどれほど多い量の労働がされるのか、労働の生産性は同じ量の労働がどれほど多い商品を作り出すのかです。

労働力の価値と剰余価値の量は3つの法則によって決まります。

1.決まった勤労時間では、いつも同じ量の価値が生み出される

2.剰余価値が増加すると労働力の価値は減少し逆も成立する

3.剰余価値の量は労働力の価値によって決まる

労働の強度が増大すると同じ時間でより多い商品が生産されます。 労働の生産性が向上すると同じ時間により多い商品が生産され商品の価値は下がります。

生産性が高くなると労働力の価値が低くなり剰余価値も増大します。

生産性が低くなると労働力の価値が高くなり剰余価値も低下します。

前述した通り、テクノロジーが発達することによって労働力の価値が低下し、剰余価値は増大し、資本家の資本は増加します。

そして最先端のテクノロジーで生産性が高くなってもサラリーマンの生活が豊かにならないもうひとつの理由は、「決まった勤労時間ではいつも同じ量の価値が生み出される」からです。

例えば、現代の銀行では入金や出金、計算などはパソコンで速い速度で処理することができますがパソコンがなかった時代の銀行では同じ仕事にも長い時間がかかっていました。しかし、現代の銀行員の労働の価値が昔の銀行員の労働の価値より高いわけではありません。

3つの法則は、文明が発達すればするほど資本家だけが利益を享受することを示唆しているし、労働者が受け取る賃金が小さくなれば資本家はより大きな剰余価値を得ることがはっきり分かります。

相対的過剰人口または産業予備軍

蓄積の進行につれて不変資本に比べて可変資本の比率はどんどん減少します。

資本の蓄積による可変資本の比率の減少は加速され、常に労働者の方には雇用されない「相対的剰余人口」が出てきます。

それは、資本が自己増殖の過程で需要の変化があるとき必要に応じて搾取することができる「産業予備軍」になります。

労働者階級の中で就職した労働者の過度な労働は産業予備軍を増加させます。

そして彼らは就職した労働者との競争を通じて過度な労働をするようになり資本の独裁に屈服します。

「産業予備軍」はいつもは定職につかずぶらぶらしているが、必要なときに限って雇われる人々を意味します。

現代はテクノロジーの発達により生産性が改善され、少人数での生産が可能だから産業予備軍の数は多いです。

こうなると労働力の供給がその需要をいつも上回るから少額の賃金でも働きたい人が多くなり、就職している人々も安心することができません。

派遣社員制度が登場したのも、こうした背景があったからだし、その労働条件がどんどん過酷になるのも納得です。

資本の蓄積は悲劇の蓄積

資本主義のシステムでは社会的な労働生産性を増やすため個々の労働者が犠牲になります。

労働生産性を増やすためのすべての方法は労働者の労働条件を改悪し、労働の過程で資本家の独裁に屈服させ、すべての生活時間を労働時間に転換させ、労働者の妻子をも資本の巨大な車輪の下に連れていきます。

剰余価値を生産する方法は、すべてが蓄積の方法であり、蓄積の拡大は方法を発展させる手段となります。

資本が蓄積されるにつれて労働者の状態はどんどん悪化していきます。

さらに相対的過剰人口または産業予備軍を蓄積の規模や活力に合うように維持する法則により労働者は資本に縛られます。

こうして資本の蓄積は悲劇の蓄積になります。一方の富の蓄積は同時に向こう側には悲劇の蓄積になり、奴隷の苦痛になり、低い教育と精神的衰退につながっていきます。

向上した生産性が意味するのは、より少ない労働で、より多い剰余価値が得られることです。

その「より多い剰余価値」とは労働者のものではなく資本家のものです。「より少ない労働」が意味するのは労働者が楽に快適に働けるということではなく職場を失うことです。

テクノロジーの発展による生産性の向上が最後にもたらすのは、「機械に人が職場を奪われる悲劇」です。

グーグルが選定した世界最高の未来学者トーマス・フレイは、「技術革新によって、2030年までに職業の50%は消滅する」と予見したことがあります。

私たちが知らないうちに、産業全般で絶えず生産性は増加しています。そんな変化が蓄積した結果がフレイが予見する未来です。

私たちは現代のテクノロジーのめまぐるしい変化に慣れてしまったあまり、そんな未来を実感していないだけかもしれません。

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